大徳寺文書とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 文化 > 国指定文化財等データベース > 大徳寺文書の意味・解説 

大徳寺文書(四千二百六十七通)

主名称: 大徳寺文書(四千二百六十七通)
指定番号 197
枝番 00
指定年月日 2005.06.09(平成17.06.09)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 古文書
ト書
員数 97巻、2帖、100冊、54幅、3246通、9鋪、172、1箇
時代区分 平安江戸
年代
検索年代
解説文:  大徳寺京都船岡山の北に位置する臨済宗大徳寺派大本山で、宗峰妙超しゅうほうみょうちょう】を開山とするわが国代表する禅宗寺院である。元応元年一三一九)に赤松則村【のりむら】(円心えんしん】)の援助受けて紫野小庵造立し、この小庵がのちの大徳寺前身である。大徳寺皇室との関係が深く朝野尊崇きわめて厚く寺領寄進され繁栄し、また南北両朝室町幕府など時の政治権力との結びつき緊密であった
 大徳寺文書は大徳寺本坊と諸塔頭伝来した平安時代から江戸時代にわたる四二六七通に及ぶ古文書群である。内容大徳寺歴史反映しているものの、単に大徳寺沿革物語るにとどまらず洛中所領寺領庄園具体的な種々相武士の動向、朝幕関係など当時の社会経済政治を探る豊かな史料示している。
 現在、文書は①什物別置する文書、②重書箱に収められ文書、③未整理膨大な文書、の三つ分けられる今回は①のうち既指定品を除く文書および墨蹟類、②のすべて、③のうちいわゆる「箱外文書」のみを指定対象とする。
 ①は、歴代天皇綸旨【りんじ】、院宣いんぜん】、武家禁制朱印状などの重書じゅうしょ】および禅宗寺院における嗣法関係文書である遺偈【ゆいげ】、二大字法語などの墨蹟類からなっている。
 ②は、本坊伝来した文書のほか大用庵【だいようあん】、養徳院ようとく】、如意【にょい】庵、龍翔寺りょうしょうじ】などの諸塔頭文書含まれている。諸塔頭文書には、中世のある時期文書目録作成されている場合多く文書群の状態などについて把握できる寺内文書には住持連署壁書かべがき】、規式などが見えるほか、大徳寺中央地方獲得した土地庄園訴訟経営関わる文書多数占め、それらは室町戦国時代政治経済に関する一級史料となっている。中には、『徒然草』の著者として知られる吉田兼好田地売券、同寄進状含まれている。また、地方広汎な教線を広げた林下【りんげ】の禅風にふさわしく室町・安土桃山時代地方名武家との密接な関係を示すものが少なくない。なお、中世における収納遺例として注目される之本」一箇残されている。
 ③に含まれる絵図類に、西京安井龍翔寺敷地絵図がある。江戸時代中期龍翔寺嘉陽門院陵、紹明普光塔などの様子を描いたものとして注目される
 附の文書袋と文書箱は、文書の整理あり方および保管方法一端を今に伝えるものとして注目される



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「大徳寺文書」の関連用語

大徳寺文書のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



大徳寺文書のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
文化庁文化庁
Copyright (c) 1997-2025 The Agency for Cultural Affairs, All Rights Reserved.

©2025 GRAS Group, Inc.RSS