大島、奥津島神社文書とは? わかりやすく解説

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大島、奥津島神社文書(二百二十二通)

主名称: 大島、奥津島神社文書(二百二十二通)
指定番号 108
枝番 00
指定年月日 1987.06.06(昭和62.06.06)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 古文書
ト書
員数 1巻32冊、3枚
時代区分 鎌倉江戸
年代
検索年代
解説文:  大島神社奥津島神社伝来した古文書で、鎌倉時代から江戸時代に至る二百二十二通を存する。この地は古く湖岸接する島であり、平安時代には奥島庄として山門御厩料所となっていた。中世奥島庄民は、おおむね山門支配下属し鎮守である両社祭神を「大島の主」として信仰しつつ、山野湖水を生活の場としてその活動展開するが、庄民の中には供御人号するもののいたことが知られる
 本文書はかかる当庄の歴史反映して漁業をめぐる住民山門庄官との確執伝え文書や、寄進状譲状売券等のほか、起請文などの惣掟書、宮座関係のものなど中世村落具体変遷を示す文書含まれている。文書中、最も年紀の古いものとしては、仁治二年(一二四一)九月日、奥島庄の住民下司非法山門訴えた奥島預所法眼下文あげられる。この文書は〓に関する初見史料として夙に知られている。同様に元弘元年一三三一十二月九日沙弥性忍〓売券のごとく個々住民による〓の相伝私領化の成立を示す史料もある。また中世村落法の遺例として著名な弘長二年(一二六一十月奥島百姓等庄隠規文や、社家ならびに々の評定による私〓の停止に関する永仁六年(一二九八)の大島神社菜料所〓裁許状など、共同体内部での衆議あり方明らかにするものがあり興味深い。さらに、応安元年一三六八)の大島奥津御供定書案には、宮座における新興村人層の進出などがみえ、中世末期神事に関する日記からは、鎮守祭祀盛行にともなう奥島住民広範な活動窺われる。このほか、嘉吉元年一四四一八月日の徳政条々定書木札など他に類例少な貴重な史料含まれているのが特徴である。
 本文書は、中世村落形成惣村日常具体的に明らかにするなど豊富な内容をもつもので、中世社会経済史研究上に価値が高い。



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