大和国乙木庄条里坪付図とは? わかりやすく解説

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大和国乙木庄条里坪付図

主名称: 大和国乙木庄条里坪付図
指定番号 135
枝番 00
指定年月日 1991.06.21(平成3.06.21)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 古文書
ト書
員数 1鋪
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文:  畿内均等名きんとうみよう】の事例としても知られ大乗院大和国山辺郡乙木庄(現、天理市)の鎌倉時代後期耕地配分状況を示した条里坪付図である。
 図は、文書料紙翻した楮紙九紙を継いで料紙とし、南を上に太い墨線をもって方格の条里描いている。図中に描かれ条里一一七里八里一二七里八里の計四八坪で、各坪並は千鳥式で表記される。各坪は短冊型の耕地分割され、佃、名田屋敷等の種別名請人年貢高などの記載があり、これによれば乙木四三一段一〇八歩のうち、領主佃は同庄のほぼ中央部中心に一町九反占め、庄民の屋敷一九所を数えるが、そのほとんどは半折型である。名田預所下司名のみに「名」表記がみえ、他は「善縁」などの人名表記のみで、合計一九人が佃、屋敷各々一反ずつを各人均等に名請しており、これら田地対す年貢一律に一石四斗、名田部分一斗から六斗となっていた。
 本図描かれ乙木庄の歴史的景観は、中央に佃を、東に長屋郷からの式内社である夜都伎【やつき】神社、西に庄民の屋敷聚落と、さらに西方に庄民の耕作田地といった形式で、東から西へ緩い傾斜をもって展開していたことがわかり、これら耕地配分基本型条里制に基づくものであることを明らかにしている。
 紙背文書はいずれも庄関係のもので、文永二年(一二六五)三月二十日田地寄進状案など、本図作成時期考え上で参考になる文書含まれる。なお、内閣文庫大乗院文書中には料紙紙背文書がない点などを除くと内容注記記載に至るまで全く一致するものが伝来しており、おそらくこの猪熊本とは正の関係にあったものと考えられる乙木庄は、この絵図以外に関係史料乏しいが、本図鎌倉時代後期畿内均等名庄園実態余すところなく伝えて貴重である。



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