大和井
名称: | 大和井 |
ふりがな: | やまとがぁ |
種別: | 史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 沖縄県 |
市区町村: | 宮古島市平良 |
管理団体: | |
指定年月日: | 1992.12.18(平成4.12.18) |
指定基準: | 史8 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | |
解説文: | 隆起珊瑚礁から成る宮古島では、人々は古くから海岸沿いの洞井や泉を中心として集落を形成し、暮らしをたててきた。各地に散在する洞井は、上がり下がりの通路に石段を設けて自然のまま利用しているのが普通である。 今回指定しようとする地域には、(1)ぶとら井と呼ばれるごく普通の洞井と、(2)大和井と呼ばれる見事な石造りの洞井とがある。 ぶとら井は、指定予定地域の北西端にある。指定予定地入口を北に石段を下りた所にある洞井で、2か所に分かれている。 大和井はぶとら井の東約50メートルの所にある。折れ曲がった石段を下りると、大小の切石を高さ6メートル余にわたって円形に積み上げ、1面に石を敷きつめた広場の奥に井泉を穿っている。『雍正旧記』の「1、不とる川但洞川堀年数不相知 康〓(*1)72申年修補 1、同所井 康〓(*1)59庚子年堀」という記事から考え、大和井は1720年に掘られたものと考えられる。「大和井」という名称の初出は、明治15年(1882)の『上杉県令先島巡回日誌』であるが、伝承によれば、この井泉は、首里王府派遣の在番役員や頭などごく一部の役人のみが使用したものだといい、石段の中程に残る閂跡や、かつて井泉に至るまで2か所に門があったという言い伝えも、この井泉が特殊なものであったことを物語っている。 両泉は、南島の人々の暮らしと、石工技術の見事さを示す石造遺跡として類例のないもので、これを史跡に指定して永く保存を図るものである。 |
大和井
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/10 10:02 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動![]() | この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2014年1月) |
大和井(やまとがぁ、やまとがー)は、沖縄県宮古島市平良にある井戸。石造遺跡。1992年(平成4年)2月18日に国の史跡に指定されている。
隆起珊瑚礁の島である宮古島には川はなく、雨は地下水となって海に流れこむ。海岸付近などにはその流れが湧き水となって湧き出す箇所があり、ガーと呼ばれて、住民の貴重な生活用水として利用されてきた。大和井は、宮古島市の市街地近くにあるガーのひとつで、すくそばにあるぶとら井(ぶとらがぁ、プトゥラガーとも言う)とともに「大和井」という名称で1992年(平成4年)12月18日 に国の史跡に指定された。
大和井は、石段を降りた下にある降り井(うりがぁ)で、周囲約20メートル、高さ約6メートルの円形の石積みの穴の底に石敷きの広場を設け、その奥部が取水口とされている。広場までは、折れ曲がった石段が続いており、その途中には門扉が設けられたと思われる、閂の跡がある。『雍正旧記』の記載から、1720年に掘られたものと考えられている。
伝承によると、この井戸は、首里王府や薩摩藩から派遣された役人専用の井戸であったともいわれている。見事な石細工や、厳重な管理の様子をうかがわせる閂の跡が残る。
ぶとら井は、大和井から50メートルほど北西に位置する井戸で、より簡素な造りを持ち、一般の住民用として用いられていたものと考えられている。
所在地
沖縄県宮古島市(旧平良市)字西仲宗根不佐手・土川
関連項目
外部リンク
座標: 北緯24度48分39.0秒 東経125度17分8.3秒 / 北緯24.810833度 東経125.285639度
固有名詞の分類
- 大和井のページへのリンク