国鉄TR23形台車とは? わかりやすく解説

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国鉄TR23形台車

(国鉄TR33形台車 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/24 00:58 UTC 版)

TR23形台車(TR23がただいしゃ)は、日本の鉄道省(国鉄)が開発した鉄道車両台車の一形式である。


  1. ^ TR10 - 13・71・72の各形式。ただしTR10は当初明治45年式台車と呼称したグループの1914年以降製造分のみ。
  2. ^ 八幡製鐵所製。
  3. ^ 本形式台車の開発に際しては、ペンシルバニア鉄道がニューヨーク近郊地区通勤電車に採用していた鋳鋼製軸ばね式台車をモデルに設計されたことが、当時の鉄道省技師が執筆した「車輛工学」での解説記事中で明言されている。文中でも「ペンシルバニア型」の語が用いられていた。
  4. ^ 鉄道省では客車・電車用の本形式の他、これと同時期に高速貨車・易損品輸送用貨車などのために設計された軸ばね式台車のTR24(1930年設計)も、やはりペンシルバニア鉄道の高速貨車用台車に酷似した設計の先行形式が存在しており、こちらも「ペンシルバニア形」と呼ばれることがある。このTR24は一体鋳鋼製側梁を備えるが、大荷重に備えトラス構造を採用しており、TR23←ペンシルバニア鉄道2D-P2系とは異なる系譜に属する。
  5. ^ その特徴的な形状から「タコ坊主」と俗称される。
  6. ^ 2D-P2系2軸ボギー台車(2D-P2・2D-5P2など)と呼称。同鉄道が設計した客車用標準形台車の第2世代に当たり、先行する2D / 3D-P1系で形鋼をリベット接合で組み立てていた側枠・軸箱支持部を一体鋳鋼化したものである。それらの構造面での特徴から、国鉄技術陣は双方を参考に折衷する形で本形式およびTR73を設計したと見られる。なお、2D-P2系は外観上、車体を支持する側受(サイドベアラー)が台車枠よりも外側(2D-P2で最大で合計3フィート3 1/2インチ分側枠より広い)に位置しており、これに合わせてそれを支える上揺れ枕と下揺れ枕も台車枠より左右に突き出している。この関係で揺れ枕吊りも外側に取り付けられ、外部に露出しているため、その外観の印象は本形式と大きく異なる。
  7. ^ 湿度の低い地域が多いアメリカと比較すると、全般的に湿度の高い日本では、仮に同一技術水準であったとしても大型部品の鋳造において不良品発生率をアメリカと同等とするのは容易ではなく(これは現在も変わらない)、この時代には熟練工員の技量に依存して不良の発生を抑止していた。
  8. ^ 量産製品では各社で同等の製品を製造可能とすることが特に強く求められた当時の国鉄では、製造可能なメーカーが限られる技術・設計は車両調達計画上、大量生産される客車への制式採用は困難であった。ただし、同時期設計の貨車用TR24やこれを基本に設計された制式蒸気機関車の炭水車用台車では軸ばね部を含めた側梁全体の一体鋳造が実現している。
  9. ^ スハ32600形を丸屋根に改設計したもの。
  10. ^ 1,435 mm軌間用。イ1100・イロネ1500・ロネ2400・ロ2300・ハ3300・シ500・ユニ5500・ニ5000の8形式が1940年に鉄道省工作局車両課で設計され、日本国内の省指定メーカーで製造され同社に納入された。イロネ・ロネの優等車4形式がTR73相当、残り4形式がTR23相当の台車を装着した。
  11. ^ TR12・13・72の各形式に採用。
  12. ^ このため軸箱守の摺動部にはスペーサーが溶接されている。
  13. ^ 主電動機や車軸発電機の有無で区分された。
  14. ^ 鉄道省ペンシルバニア形台車は、客車用としては成功であっても、電車用としては強度不足な面があり、必ずしも成功作とは言えない傾向があった。これは軌道条件が良好とは言えない路線が多く、丈夫で保守に手がかからないブリル27MCB系やボールドウィンA・AA系のイコライザー台車に慣れた私鉄各社にとってはこの点ではマイナス要素であった。基本型であるTR23と比較すると、電車用のTR25は大質量の主電動機を装架する関係で軸箱鋳物部と側枠の形鋼の接合をリベット4本から6本に、トランサムと形鋼の接合もリベットを補強板を当てた上で16本から24本に、それぞれ増強してあった。しかし、1935年にはトランサムを再設計、1939年には標準主電動機がMT15から大出力で重いMT30へ移行したことでトランサムを再々設計、さらに各部の補強を実施している。 このようにTR25は外見には変化が生じなかったものの、量産過程で車体や主電動機の重量が増大するにつれ、接合部を中心に様々な補強のための設計変更が実施されている。それでも、戦後の混乱期には過積載でローワーレールが折損する事故が多発しており、その強度は充分とは言い難かった。
  15. ^ 省スハフ32800形を17m級に短縮した設計の客車。
  16. ^ 当時標準の図面番号VA3067仕様で製造されている。
  17. ^ 後に富山地方鉄道モハ7540形に改称された。
  18. ^ 国鉄客車の量産に参加していた帝國車輛工業、あるいはその旧名の梅鉢車輛製で、TR23と同じ軸距2,450 mm仕様ながらトランサムをTR25相当として主電動機を装架可能とした、国鉄に同一仕様のものが存在しない専用モデル。戦後主電動機を国鉄払い下げのMT30に交換の上でモハ501形(初代)501 - 510やモハ401形(初代)401・402に転用され、モハ501形の分は更にモハ501形(2代目)501 - 510に再転用され、空気ばね・ころ軸受・ボルスタアンカー装備と徹底的な大改造を施された上で長く使用された。なお、ほとんどの文献や譲渡先の竣工図等では西武モハ200形は梅鉢鉄工所製とされ、同車が装着した台車も「梅鉢鉄工所製」として紹介されているが、この車両が製造された1941年は梅鉢車輛が帝國車輛工業に改称された年で「鉄工所」はありえず、よって最低でも梅鉢車輛名義での製造となる。
  19. ^ 軸箱守周辺や下揺れ枕の形状は国鉄DT16に類似する。
  20. ^ 当初は客車扱いで、各扉にステップを内蔵する電車風の外観を備える16 m級3扉半鋼製車であった。書類上は1953年12月(現実の改造は1950年以降と見られるが詳細不明)に自社水海道工場で2扉化し、運転台側のみ乗務員扉を設置の上で気動車化改造され、キハ40086となった。
  21. ^ 初代。竹鼻鉄道発注車だが合併後に竣工した。
  22. ^ 東芝府中工場で社員輸送用電車として使用されていた車両を、戦時中空襲で車両不足に悩まされていた井の頭線へ投入すべく、京王帝都電鉄が譲受したものである。ただし、これは元々は東美鉄道が発注し、注文流れとなった車両である可能性が指摘されている。
  23. ^ 国鉄電車は300km以上の連続高速走行を念頭に置いて開発されたが、私鉄では比較的長い東武近鉄でもこの半分程度でしかなく、大半は片道100km未満の運用である。
  1. ^ 『オハ35形の一族』中 p.91。


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