東美鉄道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/02 19:16 UTC 版)
東美鉄道(とうみてつどう)は、かつて岐阜県可児郡で鉄道の敷設・運営を行っていた鉄道事業者。前身は1915年(大正4年)に設立された東濃鉄道(とうのうてつどう)[注釈 1]で、同社が建設した軽便鉄道路線の一部国有化が決定した際、対象区間から外れた広見駅 - 御嵩駅間の運営を目的に東濃鉄道・(旧)名古屋鉄道・大同電力の共同出資によって1926年(大正15年)に設立された。設立後は鉄道の電化・改軌を行い八百津方面にも延伸した。1943年(昭和18年)に名古屋鉄道に合併され、広見線の一部及び八百津線となった。
注釈
- ^ 現在の東濃鉄道(駄知鉄道など6社の合併によって1944年(昭和19年)に設立)と社名が同一だが資本や履歴のつながりはない。
- ^ 八百津電気鉄道の発起人には藍川清成(愛知電気鉄道社長)、大園栄三郎(元・鉄道監督局長、東海道電気鉄道社長)、増田次郎(大同電力常務取締役、のち社長)、野呂静(元・御嵩町長、東濃電化社長)らが参加していた[13]。
- ^ 同時に今渡 - 下恵土(現・新可児駅)間の免許を名鉄が取得した[12]。なお、名鉄の今渡 - 八百津間の申請は1922年(大正11年)9月に返付され[18]、八百津電気鉄道も1926年(大正15年)6月に出願を取り下げている[19]。
- ^ 取締役に兼松煕(濃飛電気社長)、斎藤直武(のちの尾三電力社長)、山田芳市(のちの名鉄取締役)、杉山栄(矢作水力専務取締役、のち副社長)、跡田直一(名鉄常務取締役、のち社長)、野呂静(東濃電化社長)、村瀬末一(大同電力取締役兼支配人、のち副社長)が選任[19]。
- ^ 八百津方面延伸時にさらに1両(510号)を譲受[22]。
- ^ 伏見口 - 八百津方面は八百津線となったが、広見線の支線扱いで八百津支線と称されることもあった[32]。
出典
- ^ a b c d e f 『地方鉄道及軌道一覧. 昭和15年11月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b 『日本全国諸会社役員録. 第24回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 井戸田 2015, p. 137.
- ^ a b 可児市 2010, p. 305.
- ^ 井戸田 2015, p. 138.
- ^ a b 可児市 2010, p. 306.
- ^ a b c 可児市 2010, p. 307.
- ^ 可児市 2010, pp. 306–307.
- ^ 井戸田 2015, p. 139.
- ^ a b 井戸田 2015, p. 140.
- ^ 名古屋鉄道 1961, p. 110.
- ^ a b c d 名古屋鉄道 1961, p. 123.
- ^ a b 井戸田 2015, p. 142.
- ^ 可児市 2010, p. 310.
- ^ 名古屋鉄道 1961, pp. 304–305.
- ^ a b c d e f 名古屋鉄道 1961, p. 305.
- ^ a b 可児町 1980, p. 919.
- ^ 井戸田 2015, p. 149.
- ^ a b 井戸田 2015, p. 143.
- ^ 名古屋鉄道 1961, p. 749.
- ^ 名古屋鉄道 1961, p. 752.
- ^ a b 清水・田中 2019, p. 60.
- ^ 可児市 2010, p. 311.
- ^ a b c 名古屋鉄道 1961, p. 306.
- ^ 可児市 2010, pp. 311–312.
- ^ a b 可児市 2010, p. 312.
- ^ a b c 名古屋鉄道 1961, p. 246.
- ^ 可児市 2010, p. 313.
- ^ 名古屋鉄道 1961, pp. 246–247.
- ^ a b 名古屋鉄道 1961, p. 247.
- ^ 徳田 2008, pp. 153–154.
- ^ 名古屋鉄道 1961, p. 697.
- ^ 名古屋鉄道 1961, p. 341.
- ^ 名古屋鉄道 1961, p. 354.
- ^ 井戸田 2015, p. 144.
- ^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1912年12月23日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『官報』1915年3月26日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1919年1月10日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「地方鉄道停留場設置」『官報』1919年10月23日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「地方鉄道停車場設置」『官報』1920年2月25日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1920年8月27日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b 9月7日許可 「鉄道譲渡」『官報』1926年9月9日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鉄道省告示第176号」『官報』1926年9月22日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1926年7月29日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b 『地方鉄道及軌道一覧 : 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『日本全国諸会社役員録. 第35回』(昭和2)(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『官報』1927年1月7日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『名古屋鉄道百年史』744頁
- ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1929年11月7日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1930年5月9日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1930年10月13日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『岐阜県統計書. (第32回) 第2巻』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『鉄道停車場一覧. 昭和12年10月1日現在』太多線および東美鉄道(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『全国乗合自動車総覧』1934年(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 名鉄資料館「郊外線草創期の車両デシ500形とその仲間たち」『鉄道ピクトリアル』No.791
東美鉄道(モ773)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/01 22:53 UTC 版)
「名鉄モ770形電車 (初代)」の記事における「東美鉄道(モ773)」の解説
1943年(昭和18年)当時、東美鉄道に在籍する車両は、1928年(昭和3年)と1930年(昭和5年)の二度にわたって名鉄より譲渡されたデ1形1 - 3および自社発注車であるデボ100形101・102の計5両で、これらの車両によって旅客運輸および貨車牽引による貨物輸送を行った。貨物輸送は沿線より採掘される亜炭輸送を主としたが、戦時体制移行に伴って亜炭の需要が増大し動力車の増備が必要となったことから、同年1月18日付で前述した竹鼻鉄道の車両と同一設計による2軸ボギー構造の電車1両の設計認可を申請した。 竹鼻鉄道における例と同様に、東美鉄道においても製造に際しては従来保有したデ1形より電装品を転用する旨申請した。しかし、同車は種車からの流用品がごく一部の電気機器および車体付属部品の一部に留まる、事実上の完全新造車両であったことから、当時鉄道車両の許認可を管轄した商工省傘下の統制機関である車両統制会が難色を示し、計画内容の修正を迫られることとなった。設計認可が下りたのは東美鉄道が名鉄へ吸収合併された後の1943年(昭和18年)5月3日のことで、モ771・モ772と同じく日本鉄道自動車工業へ発注され、形式および記号番号は同2両の続番となるモ770形773が予定されたが、現車は竣功せずに終わった。 モ773として導入予定であった車両については、名鉄に納入されず注文流れとなった末に他社へ転売されたという説が存在し、日本鉄道自動車工業から東京芝浦電気(現・東芝)へ納入され東芝車輌(現・東芝府中事業所)の従業員輸送に用いられたのち、京王帝都電鉄(現・京王電鉄)へ譲渡・導入された京王デハ1750形がそれに該当すると指摘される。
※この「東美鉄道(モ773)」の解説は、「名鉄モ770形電車 (初代)」の解説の一部です。
「東美鉄道(モ773)」を含む「名鉄モ770形電車 (初代)」の記事については、「名鉄モ770形電車 (初代)」の概要を参照ください。
- 東美鉄道のページへのリンク