デ1形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 07:46 UTC 版)
デ1・2 五泉 - 村松間の開業に際して、1923年(大正12年)7月に蒲田車輌製作所においてデ1・2の2両が新製された。デ1形の車体外観および各部寸法は目黒蒲田電鉄が開業に際して新製したデハ1形電車とほぼ同一であり、デ1形の製造前年にあたる1922年(大正11年)12月に汽車製造において新製された目黒蒲田電鉄デハ1形を、蒲田車輌製作所においてスケッチ製造したデッドコピー製品であるとも指摘される。 全長11,455mmの木造ダブルルーフ構造の車体に片側2箇所の片開客用扉を備え、前面形状は丸妻形状の3枚窓構造、窓配置はD(1)2 4 2(1)D(D:客用扉、数値は側窓の枚数、カッコ内は戸袋窓)である。落成当初は集電装置にトロリーポールを採用し、前照灯は前面腰板中央部に設置されていたが、後年パンタグラフ集電化および前照灯の屋根上への移設が施工されている。主電動機はウェスティングハウス・エレクトリック (WH) 社製の定格出力48kWの主電動機を1両当たり2基、歯車比75:15 (5.0) で搭載し、台車はJ.G.ブリル社製の鍛造鋼組立型軸ばね式台車ブリル76E-1を装着する。 導入後は前述集電装置の交換のほか、1951年(昭和26年)12月には主電動機の東洋電機製造TDK-31系への換装が実施されたが、同時期には経年25年を超えた木造車体の老朽化が著しくなったことから、1952年(昭和27年)10月のモハ31新製に際して、モハ31へ主要機器を供出したデ101へデ1の主要機器を転用することとなった。名義上はデ1がモハ31へ改造されたという扱いが取られ、デ1は事実上廃車となった。残るデ2はモハ1形1と改称・改番されたが、1954年(昭和29年)5月のモハ41新製に際して、モハ41へ主要機器を供出したモハ13へモハ1の主要機器を転用することとなり、モハ13改めモハ51への改造名義でモハ1も事実上廃車となり、形式消滅した。 なお、デ1・モハ1(旧デ2)の車体はいずれも村松車庫内において職員詰所として利用され、モハ1の車体は蒲原鉄道線の全線廃止まで現存した。全線廃止後は車内外とも徹底した修繕工事が施工され、台車・パンタグラフ等を新たに装着した上で冬鳥越スキーガーデンにおいて静態保存された。
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