デ101形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 07:46 UTC 版)
デ101 1947年(昭和22年)に名古屋鉄道よりモ450形455を譲り受け、導入したものである。同形式は各務原鉄道(現・名鉄各務原線)が開業に際して1925年(大正14年)に日本車輌製造名古屋本店において新製した木造四軸ボギー電動車KB1形5を前身とし、戦後混乱期に名古屋鉄道へ割り当てられた63系電車導入の見返りとして義務付けられた既存車両の地方私鉄への供出の一環として蒲原鉄道へ譲渡されたものであった。 全長12,106mmの木造シングルルーフ構造の車体に片側2箇所の片開客用扉を備え、前面形状は丸妻形状の3枚窓構造、窓配置は1D(1)2 2 2(1)D1(D:客用扉、数値は側窓の枚数、カッコ内は戸袋窓)である。なお、各務原鉄道KB1形の原形は前面を半円形状とした5枚窓構造で、窓配置はD(1)2 2 2(1)Dであったが、モ455を含むモ450形4両は戦災によって車体を損傷し、復旧に際して前述のような車体形状に改められたものである。台車はボールドウィン・ロコモティブ・ワークス社が設計・製造した形鋼組立型釣り合い梁式台車(ボールドウィンA形台車)のデッドコピー製品である日本車輌製造BW-78-25A台車を装着し、主電動機は後年TDK-31S-Cに換装された。 1952年(昭和27年)10月のモハ31新製に際して、前述のようにデ101は台車を含む主要機器を供出し、代わりにデ1より主要機器を流用する玉突き転用が実施され、同時にモハ21形21と改称・改番された。この結果、前述モハ51同様に、主電動機はTDK-31S-Cで変わらなかったものの、台車はデ1より転用したブリル76E-1を新たに装着した。 木造車体の小型車ということで、1950年代半ば頃よりラッシュ時の運用を中心とした予備車的位置付けとなったモハ21は、結果的に蒲原鉄道線における最後の木造車体の旅客用車両として残存し、1979年(昭和54年)1月に廃車となった。
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