デ11形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 07:46 UTC 版)
デ11 - 13 蒲原鉄道線全線開業に先立つ1930年(昭和5年)3月に、蒲原鉄道初の半鋼製車両として日本車輌製造東京支店においてデ11 - 13の3両が新製された。デ11形の車体外観および各部寸法は庄内交通が同社湯野浜線の開業に際して新製したモハ1形電車と全く同一であり、台車等にも共通点を有した。 全長12,432mmの半鋼製車体に片側2箇所900mm幅の片開客用扉を備え、前面形状は丸妻形状の3枚窓構造、窓配置はD(1)9(1)D(D:客用扉、数値は側窓の枚数、カッコ内は戸袋窓)と、扉間の窓数がデ1形と比較して1枚増加した。その他、側面見付は扉間の車体裾部の外板が切り上げられて台枠が外部に露出し、また腰板部の上下寸法を広く取った初期の半鋼製車両特有の設計と上下寸法の小さい一段落とし窓方式の窓構造の採用により、些か古典的な外観を呈している。主電動機はデ1形同様にウェスティングハウス・エレクトリック (WH) 社製の定格出力48kWの主電動機を1両当たり2基、歯車比75:15 (5.0) で搭載するが、台車は東洋車輌製の鋳鋼組立式ペンシルバニア型軸ばね台車(固定軸間距離1,680mm)に変更された。 デ11形は戦前から戦後にかけて主力車両として運用され、1952年(昭和27年)10月に実施された一斉改番に際してモハ11形11 - 13と改称された。その後、主電動機の東洋電機製造TDK-31系への換装が実施されたのち、1954年(昭和29年)5月のモハ41新製に際して、モハ13が主要機器をモハ41へ供出し、モハ13へはモハ1の主要機器を転用する玉突き転用が実施され、同時にモハ13はモハ51形51と改称・改番された。モハ13としての車籍はモハ41へ継承され、モハ51はモハ1の車籍を継承し、モハ1の改造名義で竣功している。この結果、主電動機はTDK-31S-Cで変わらなかったものの、台車はモハ1より転用したブリル76E-1を新たに装着した。 1978年(昭和53年)7月には西武所沢工場でモハ12に対してワンマン運転対応化改造が施工された。改造に際してはワンマン運転関連機器が新設されたほか、タブレット交換時における利便性向上を目的として狭幅の乗務員扉が新設され、窓配置はdD(1)9(1)Ddと変化した。この乗務員扉は有効幅が400mm程度であり、乗務員の出入は不可能であったという。なお、モハ11・モハ51についてはツーマン仕様のまま存置され、また他形式においては間接非自動制御化が施工される中、旧デ11形の3両については終始直接制御のまま運用された。路線縮小に際しては唯一ワンマン運転対応済であったモハ12を含む3両とも廃車となった。
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