デ2200形(旧)
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「参宮急行電鉄2200系電車」の記事における「デ2200形(旧)」の解説
戦前期には特に事故廃車もなく、ウィンドウ・シルの補強以外は大きな改造もないままに推移していたが、まず1949年にモ2207が事故に遭い、車体が焼失した。同車は1950年にオリジナルに準じた設計の車体を新製の上で復旧したが、全溶接構造とされたため、車体のリベットはなくなった。 その後、1960年より3扉化改造とロングシート化、一部車両の運転台撤去が始まり、この間1963年に、モ2204が事故によって車体焼失したため、今度は1460系に準じた設計の軽量車体を新造してモ1421形[2代]として復旧した(詳細は以下)。なお、モ2204の空番は、上述の0起番廃止の際にモ2200を改番して埋められた。 1969年には、トイレの撤去工事が行われた。この時、両運転台のまま残っていた大半の車両について、一方の運転台が撤去され、両運転台のまま残った車両も、独特な前面形状は失われた。 1971年より廃車が開始され、1974年までに全車廃車解体された。
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デ2200形(デ2227形)
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「参宮急行電鉄2200系電車」の記事における「デ2200形(デ2227形)」の解説
両運転台の電動車で、1939年と1941年に、2227 - 2246の計20両が製造された。2200形(旧)と区別するため、デ2227形(のちモ2227形)と呼ばれることもある。片側運転台がトイレスペースのための「片眼の妻」となっている点はデ2200形(旧)を踏襲しているが、車体形状はより近代的になった。 初期形では車端部の雨樋が前面外付けだったが、中期以降の増備車では埋め込み式となっている。またモ2237は1948年に事故に遭い車体を大破したため、1949年に車体を新造して復旧したが、他のモ2227形とは、車体形状の一部が異なっている。 1962年に一部車両が片運転台車に改造されたが、他の車両は両運転台が残され、車内のクロスシートもそのままであり、モ2200形(旧)と違って大きな改造は少なかったが、1970年にトイレの撤去が行われ、特徴ある前面の形状が失われた。 1972年から1975年にかけて大半の車両が廃車され、残った4両(2231・2232・2233・2237)のうち、2237を除く3両は、1976年までに電動貨車に改造され、モワ10形(20 - 22)となった。一方モ2237は、車番はそのまま鮮魚・荷物列車用として使用されていたが、高安工場の入換車となったモワ22(初代)の代わりに1977年にモワ22(2代)に改番され、モ2227形は消滅した。 モワ10形になった3両は、モワ20・21が救援車として、モワ22は荷物電車用として使用されたが、モワ22が1981年3月に、残る2両も1983年に廃車され、営業路線上から2200系は姿を消した。 一方、モワ22(初代)を改造した高安工場の入換車は、車籍はないものの、結果的に2200系では新旧双方を合わせて最後まで残った車両となり、1990年まで使用されたのち解体された。
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