型鋼通し台枠の採用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/07 08:39 UTC 版)
「参宮急行電鉄2200系電車」の記事における「型鋼通し台枠の採用」の解説
当時の19 - 20m級電車は、長い車体を支える強度を得るため、台枠(シャーシ)に中央部が膨らんだ「魚腹形台枠」を使用していた。新京阪鉄道P-6形(1927年)や阪和電気鉄道のモタ300形(1929年)・モヨ100形(1930年)はその典型であり、また大軌が桜井線用に1929年から増備していた大型車(1000形・1100形)も魚腹台枠であった。だが、このタイプの台枠は、どうしても重量が過大になる欠点があった。 参急では、そこまで頑丈にしなくとも適切な強度計算に基づく各部設計を実施すれば必要な強度は確保できる、という判断のもと、規格品のストレートなチャンネル(溝形鋼材)で構築した、シンプルな「形鋼通し台枠」を採用した。併せて、車体側面構体と台枠とを強固に結合し、側面構体に垂直荷重の一部を負荷させる構造として、さらなる強度を得ようとしたのである。 客車では1929年に、国鉄の三等車スハ32形が型鋼通し台枠による20m車体を実現していた。だが、重い電装部品を床下に搭載する20m超の大型電車で、形鋼通し台枠を採用するのは大胆な試みであった。以後、国鉄や他私鉄の大型電車でも型鋼通し台枠は一般化して行く。 この結果、デ2200形の総重量は48t未満に抑えられ、150kW級モーター搭載で必要な性能を得ることができたのである。 もっとも2200系(旧)の場合、台枠の強度に比して搭載された機器群がやや重量過多であったのは否めなかった。登場後まもなく車体変形が生じたため、ウインドシル(窓下の補強帯)の幅を広げるなど、車体への補強がなされた。さらにデ2200・デトニ2300形では戦後の1940年代後半に、経年劣化もあって車体中央部の垂下が生じ、台枠に補強を加えて修繕している。
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