東美濃統一とは? わかりやすく解説

東美濃統一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 22:12 UTC 版)

森長可」の記事における「東美濃統一」の解説

天正10年1582年6月24日無事に旧領への帰還果たし翌日には岐阜城に赴き織田信雄、信孝、三法師挨拶し弔辞述べたという。各務元正ら成利に与力として付けていた部下らと合流し旧領復した長可であったが、元与力肥田忠政久々利頼興らが離反してその勢力衰退しており、更に小里光明妻木頼忠遠山友忠斎藤利堯らも長可の排斥企むなど周囲は敵に囲まれた状態であった。そこで長可は敵に一致団結される前に各個撃破する事を決め7月2日未明肥田忠政米田城を攻めた。忠政は病を患っていた為、同夜に加治田城斎藤利堯頼って落ち延びた。長可は7月3日牛ヶ鼻砦での合戦経て堂洞城跡に入り加治田城攻めたが、これを落とすことは出来ず烏峰城に帰還した加治田・兼山合戦)。しかし同年中に肥田忠政の病は重くなり加治田城死去し跡継家臣会議でも決まらなかった為、肥田家臣離散し森家属す者も多かった。長可は元家臣である大森城奥村元広上恵土城の長谷川五郎右衛門信州から帰還しても森家挨拶使者も寄越さず、更に肥田忠政内通したとして大森城重臣林為忠攻めさせ、更に上恵土城を攻めた為、奥村元広は城を捨てて落ち延び長谷川五郎右衛門自害した。 長可は同月中に今城下麻生城・野原城御嵩城を攻略し根本城若尾元昌土岐高山城平井光村妻木城妻木頼忠戦わず森家帰順したため、森家東濃において大きく勢力伸ばした。更に長可は、間を置かず幸田孫右衛門大将として遠山友忠本拠である苗木城へと軍勢派遣するが、道中孫右衛門遠山軍の奇襲受けて戦死した為、苗木城攻略頓挫した。この失敗受けて長可はひとまず戦を止め久々利頼興和睦し遠山友忠とは睨み合い続けた。また外交面では変後すぐさま羽柴秀吉接近し東美濃諸氏から秀吉への取次役目申し付けられ、「当国不届き者居れば成敗するように」という旨の書状羽柴秀吉丹羽長秀池田恒興連名出され反抗諸氏の領に攻め込む大義名分得ている。 翌天正11年1583年)の正月には宴を開いて久々利頼興金山城呼び寄せて加木屋正則により仇討させ、同日夜間久々利城攻めた落城させた。また賤ヶ岳の戦いに際して柴田勝家連携して織田信孝家臣遠藤慶隆遠藤胤基が兵を動かし須原城・洞戸城を攻略したという報が入ると佐藤秀方連絡取って遠藤領に侵攻立花山城に篭った遠藤軍を攻め立て遠藤清左衛門池戸十郎井上作右衛門を討つも要害立花山城容易に陥落せず、やむなく遠藤軍の補給路を断って兵糧攻めへと切り替えた蓄え充分で無い立花山城兵糧はすぐに尽き進退極まった遠藤軍は討死覚悟総攻撃出ようとするが佐藤秀方から信孝自刃知らせ聞かされる戦意喪失し石神兵庫遠藤利右衛門の両重臣人質差し出し降伏。長可は木尾で慶隆・胤基両名会談し和睦成立させ、降伏飲んだ礼として鞍付馬両名贈呈した立花山の戦い)。 その後、兵を再編し同年5月に自ら出馬し二度目苗木城侵攻開始5月20日陥落させ、遠山友忠は城を脱出して徳川家康頼って落ち延び、城に残った遠山兵は城を悉く討死した。更に、明知城明知遠山氏遠山利景遠山一行等)と、信孝方の小里城主・小里光明美濃国から追放し東美濃一の堅城である岩村城城主団忠正本能寺の変信忠と共に討ち死にしていたため接収し、信孝の重臣であった斎藤利堯加治田城手放したため加治田衆含めてこれを接収し、長可は旧領復帰から11ヶ月ほどで美濃における抵抗勢力を完全に駆逐し東美濃全域並びに中濃一部にまで版図拡大した統一後領内に多すぎる城の保全煩雑さを考え加治田城始めとするいくつかの城を廃城処分としている。 また、この頃より書状の上武蔵守自称するようになっている

※この「東美濃統一」の解説は、「森長可」の解説の一部です。
「東美濃統一」を含む「森長可」の記事については、「森長可」の概要を参照ください。

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