若尾元昌とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 若尾元昌の意味・解説 

若尾元昌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/30 06:11 UTC 版)

 
若尾元昌
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 不明
主君 森長可
氏族 若尾氏
元美
テンプレートを表示

若尾 元昌(わかお もとまさ/げんしょう)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将美濃国根本城主。

略歴

若尾氏甲斐国若尾村(現在の山梨県韮崎市大草町)の出身で、甲斐武田氏の一族。

武田氏の東濃侵略に伴い可児郡根本城を築いた。しかし織田信長甲州征伐本能寺の変を経て、森長可に従った。

また、根本城の麓に天正12年(1584年)、元昌寺を建立した。

嫡男の若尾元美は、父の元昌が森長可の傘下に入ると、その家臣として活躍した。

しかし、同年の小牧・長久手の戦いが勃発すると、元美は、森長可に従い従軍し、奮闘するも討死にした。そのため元昌は帰農した。[1]

その後元昌は、森長可の嫡男である森玄蕃を保護したとされ、玄蕃は元和5年(1619年)に、42歳で亡くなっている。[2]

脚注

  1. ^ 尾州羽黒合戦「元美戦死」 [要文献特定詳細情報]
  2. ^ 渡辺富雄ら. 根本をたずねて [要文献特定詳細情報]



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「若尾元昌」の関連用語

若尾元昌のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



若尾元昌のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの若尾元昌 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS