竹鼻鉄道(モ771・モ772)
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「名鉄モ770形電車 (初代)」の記事における「竹鼻鉄道(モ771・モ772)」の解説
1942年(昭和17年)当時の竹鼻鉄道は、デ1形1 - 4(形式図)およびデ5形5 - 8の計8両の旅客用車両を保有したが、これらはいずれも小型車体の4輪単車であった。そのため、太平洋戦争勃発に伴う戦時体制への移行による利用客増加に対応する目的で、より大型の2軸ボギー車を導入し輸送力増強を図ることを計画した。当時は戦時体制移行に伴って民間向け資材の調達に難が生じつつあり、鉄道車両の設計認可に際しては製造に必要な鋼材・電気機器などの調達方法の明示が必須とされたことから、従来車のうちデ1形1 - 4の4両を種車として同形式の改造名義によって2両の2軸ボギー車を新製する旨、同年11月10日付で認可申請を行い、日本鉄道自動車工業(現・東洋工機)に2両の電車を発注した。 同2両の形式および記号番号はデ1形(2代)1・2が予定されていたが、実際に設計認可が下りたのは竹鼻鉄道が名鉄へ吸収合併された後の1943年(昭和18年)5月19日のことであり、翌1944年(昭和19年)7月に現車2両が落成した際に付された形式および記号番号はモ770形(初代)771・772となった。 なお、本形式の種車となったデ1形1 - 4は本形式2両の竣功と引き換えに、本形式の製造メーカーである日本鉄道自動車工業へ下取りされる予定であった。しかし実際にはデ1 - デ4とも本形式へ主電動機を供出して制御車代用となったのみで、本形式の竣功後も名鉄の保有車両として主に竹鼻線において運用されたのち、デ1・デ4が1948年(昭和23年)2月9日付で野上電気鉄道へ、デ2・デ3が同年6月25日付で熊本電気鉄道へそれぞれ譲渡されている。
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