東濃鉄道の買収と東美鉄道の設立
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「東美鉄道」の記事における「東濃鉄道の買収と東美鉄道の設立」の解説
高山線・飛越線の建設が進んだことで太多線(太田 - 多治見間)が北陸地方と中央線をつなぐ連絡線として着目されるようになり、東濃鉄道の国有化が現実味を帯びてきた。同社の買収は1926年(大正15年)3月の第51回帝国議会で可決され、買収額は658,069円であった。社長の平井信四郎は同年に開催された株主総会で政府買収の旨を株主に説明して理解を求め、買収対象区間から外れる広見 - 御嵩間の営業を新会社によって続ける決意を表明した。 これと前後して、(旧)名古屋鉄道と大同電力がそれぞれ八百津方面への鉄道建設を計画していた。名古屋鉄道は名古屋電気鉄道時代より犬山 - 太田間の免許を有しており、1925年(大正14年)には今渡線として今渡駅まで開業していた。名鉄は今渡からさらに八百津までの免許申請を1921年(大正10年)6月に行っており、11月には重役の上遠野富之助、跡田直一が東濃鉄道を視察している。一方、木曽川の水利権を持つ大同電力は八百津にダムの建設を計画しており(後の丸山ダム)、その資材を運搬する目的で高山線古井駅と八百津とを結ぶ八百津電気鉄道を1922年(大正11年)9月に出願した。東濃鉄道にとって八百津方面への延伸は設立当初からの構想でもあり、新会社の経営対策として建設が検討されていたが、既に八百津方面への鉄道建設は名鉄・大同二社による競願状態となっていたのである。 鉄道省は東濃鉄道の残存区間について、当初は名鉄に買収を勧めていた。しかし先述した競願状態を鑑みて方針を転換し、東濃・名鉄・大同の関係各社共同出資による新会社の設立を提案した。3社はこれに合意し、広見 - 御嵩間の運営と八百津方面の建設を新会社の下で行う旨の協約を締結した。設立資金は3社がそれぞれ40万円出資することとなったが、東濃鉄道が線路などの設備(評価額20万円)を現物出資したため、合わせて140万円とした。広見町 - 錦津村(八百津)間の免許は新会社が1926年(大正15年)7月に取得し、9月10日の創立総会で社名を東美鉄道とすることが決議された。本社を可児郡中村に置き、社長には東濃鉄道の平井信四郎が選任されたほか、役員には関係各社の面々が選ばれた。 東濃鉄道の国有化は1926年(大正15年)9月25日に実施され、同社は解散した。解散2日前の9月23日に東濃鉄道は東美鉄道へ広見 - 御嵩間の営業権と設備財産を譲渡し、同区間の営業は東美鉄道に委ねられた。
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