東瀬戸経済圏の形成と推移
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/19 08:01 UTC 版)
「東瀬戸経済圏」の記事における「東瀬戸経済圏の形成と推移」の解説
1988年4月10日の瀬戸大橋開通後、四国と本州の間の物流は船から瀬戸中央自動車道へ、人の移動も船から瀬戸大橋線へと大きく変化した。その後、瀬戸中央道と接続する四国内の高速道路網が順次完成し、県庁所在地に直結したことで経済面で大きな効果を発揮し始めた。また香川大学では岡山県出身者が学生の半数を占めるなど、通勤や通学でも岡山・香川の日常的な相互交流は大きくなっている。 1998年4月に京阪神と四国を結ぶ明石海峡大橋が開通した。これにより、四国と京阪神の間では高速バスが大きく発展した。特に香川県では高速バスが劇的にシェアを伸ばし、高松市以東では鉄道を圧倒している。これは運賃が鉄道の約半額と安い割りに所要時間が鉄道に比して長すぎないこと(明石ルートの方が距離が短いため)、京阪神の中心駅に乗り換えなしで到達できること、ゆめタウン高松や高松中央ICバスターミナルなどに無料駐車場が設置され、パークアンドライドが可能であることなどによる。この変化により、特に四国東部の住民の高付加価値商品(特にファッション関係)の購買地が、高松から京阪神へシフトした。 (参考)大阪 - 高松・丸亀線(片道3000円程度、所要160 - 180分)香川県 - 阪神間は、1999年度は約10万人/年度だったが、2005年度は120万人/年度に増加。 他方、高松と大阪(京阪神)との間では、岡山経由の方が淡路島経由に比べて距離的には長くなるものの、通行料金が安く設定されており、物流において、岡山は中四国の流通拠点としての地位を高め、瀬戸大橋開通後から岡山県の倉庫面積は急拡大し、現在、広島を抜き中四国地方では1位となった。また、東日本大震災以降から移住者が増え、地価も上昇している。
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