東濃鉄道の設立とは? わかりやすく解説

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東濃鉄道の設立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 16:38 UTC 版)

東美鉄道」の記事における「東濃鉄道の設立」の解説

1900年明治33年)、後に中央本線中央西線)となる官設鉄道名古屋から可児郡豊岡町まで延伸し、同地多治見駅開業すると、ルートか外れた可児郡北部では多治見駅とを鉄道で結ぶ計画持ち上がった1912年大正元年)には平井信四郎地元酒造業者可児郡上之郷村村長)他、地元有力者中心となって多治見駅御嵩とを結ぶ東濃鉄道鉄道免許申請が行われた。創立趣意要項によれば旅客輸送のほか、御嵩亜炭石材貨物輸送考えられ、さらに木曽川上流から錦織八百津)に流れ着く木材輸送を筏から鉄道変えることも計画されていた。 申請同年12月18日認可されたが、政府将来多治見 - 太田間に鉄道敷設する必要が生じた場合、国による会社買収国有化)を認めることが条件とされた。認可を受け発起人らは早速募集始めたが、同年天候不良による旱魃第一次世界大戦勃発に伴う米価生糸市場暴落によって募集は捗らなかった。会社1915年大正4年)に設立されたが、予定され資本金45万円集まらないことから35万円減額し、鉄道の規格も2呎6吋(762mm)の軽便鉄道変更された。建設工事はまず多治見 - 広見間が1917年大正6年)から始まり翌年竣工営業開始された。その後1918年大正7年)から広見 - 御嵩間の延長工事が行われ、1920年大正9年8月開業した軽便鉄道規格であるため速度出ず時には坂で列車止まり乗客が押すこともあったというが、それでも当時兼山 - 多治見間を運行していた定期馬車よりは速く利用者評価賛否両論であった建設費抑えたこともあって営業成績良好で、1920年大正9年以降株式配当10%となる会計期間少なくなかった

※この「東濃鉄道の設立」の解説は、「東美鉄道」の解説の一部です。
「東濃鉄道の設立」を含む「東美鉄道」の記事については、「東美鉄道」の概要を参照ください。

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