東濃電化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 16:03 UTC 版)
1913年10月、恵那郡長島町・東野村(どちらも現・恵那市)の有志によって阿木川(木曽川支流)の水利権出願がなされた。水利権許可ののち大井電気株式会社の起業手続きが進められ、1918年(大正7年)6月26日付で資本金50万円にて会社設立に至った。所在地は恵那郡大井町(現・恵那市大井町)。設立3か月後の9月25日付で社名を大井電気から東濃電化株式会社へと改めている。設立当初は武儀郡美濃町(現・美濃市)の電力会社板取川電気が全1万株のうち3000株を持つ筆頭株主であり、同社社長の武藤助右衛門が社長を兼ねていた。 1919年(大正8年)11月5日、発電所その他が完成し東濃電化は供給事業を開業した。当初の供給区域は恵那郡のうち東野村・長島町(大字久須見・永田)・武並村・余戸村(1921年釜戸村と大湫村に分割)。翌1920年8月には大井町字長島での供給も始めて供給区域を5町村としている。こうした供給事業に加えて電気化学工業の経営も起業時から会社の目的に含まれており、第一次世界大戦勃発によって需要が増加していた炭化カルシウム(カーバイド)を製造すべく大井町字的ヶ屋敷に工場用地を確保していたが、大戦終結によってカーバイドの市況が悪化したため電気化学工業への進出は断念された。阿木川の発電所は450キロワットの発電力があり、余剰電力については周囲の電気事業者へと売電した。 1937年10月6日、東濃電化は臨時株主総会にて中部合同電気に対する供給事業・財産の譲渡と譲渡実行と同時に会社を解散する旨を決議した。譲渡時の資本金は50万円。1937年11月末時点の供給成績は電灯4161灯(別に休灯1080灯)・電力299.8キロワット・電熱その他8.7キロワットで、同年末時点における供給区域は先に挙げた6町村のままであった。翌1938年8月1日、東濃電化は解散した。
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