図書室の設置から古川町図書館まで(1950-2004)
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飛騨市図書館の前身は、旧吉城郡古川町が設置した古川町図書館である。古川町は1950年(昭和25年)に青年会館を改築し古川町公民館に改め、館内に図書室を設け活動を開始した。それ以前から1946年(昭和21年)に円光寺境内の建物を借用して読書指導を行っており(1947年〔昭和22年〕に廃止)、1948年(昭和23年)には警察署の武道場として利用していた建物を増築して青年会館に充当した際に2階に図書室が設置されている。1955年(昭和30年)になると古川警察署が移転して空き庁舎となった建物を借用して公民館分館とし、図書室をこちらへ移転した。この図書室は青年団の奉仕活動として運営された。 1967年(昭和42年)7月には千代の松原公園に古川町公民館が新築され、その一室に古川町公民館図書室を移転した。1970年(昭和45年)6月時点の蔵書は3,738冊であった。1971年(昭和46年)7月1日に古川町図書館となった。この時から司書補を設置して本格的な図書館活動を開始し、壱之町の三島一郎から289冊の図書の寄贈を受けたり、貸し出し業務を開始するなど図書館機能が整っていった。古川町図書館を含めて、1976年(昭和51年)時点の岐阜県には8市6町1村に自治体立図書館が存在した。 図書館の機能充実とともに利用者も増え、住民の高学歴化と生涯学習の実践の点から公民館の一角では手狭となった。ちょうど1977年(昭和52年)に岐阜県立吉城高等学校が上気多地区へ移転して校舎が空いたため、これを利用して1981年(昭和56年)7月1日に古川町図書館は新装開館となった。新しい古川町図書館は飛騨古川駅南東に位置し、鉄筋コンクリート構造3階建ての独立した建物となった。当時の蔵書は約3万冊であった。1985年(昭和60年)に新日本フィルハーモニー交響楽団の指揮者として古川町を訪れたことを契機に古川町と交流を持ち、1990年(平成2年)に第2回飛騨古川音楽大賞特別功労賞を受賞した小泉和裕は、受賞時に自ら選書した音楽関係の図書約500冊を古川町図書館に寄贈し、それらは「小泉文庫」となった。 2002年(平成14年)11月から開館以来初めてとなる蔵書の整理に着手、2003年(平成15年)1月時点で42,309冊あった蔵書を最終的に約3万5千冊まで削り、残した図書にバーコードを貼り付け、2003年(平成15年)4月2日からコンピュータを利用した貸し出し業務を開始した。同時に児童書コーナーと一般書コーナーにコンピュータを3台設置し、インターネットからの蔵書検索も可能とした。同年12月2日には神岡町立図書館(後の飛騨市神岡図書館)もコンピュータを利用した貸し出しを開始し、町村合併による飛騨市発足を見据えて古川町図書館と神岡町立図書館が回線で接続された。これにより、相互の蔵書が検索可能になっただけでなく、それぞれの図書館カウンターで相手の図書館の蔵書を借りられるようになった。
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