告発文の公表と不可解な死
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「ヴァレリー・レガソフ」の記事における「告発文の公表と不可解な死」の解説
ソ連政府の事故調査委員会の中心人物であったレガソフは、隠さずに情報公開する姿勢が政府の反感を呼び、さまざまな問題に悩まされた。その間も放射線は彼の身体をむしばんでいった。 レガソフは、事故2周年にあたる1988年4月26日に、チェルノブイリ事故発生直後から災害防止の活動ぶりや住民避難を生々しく記述した告発メモをソ連共産党機関紙 「プラウダ」 の科学担当記者ウラジーミル・グーバレフ宛てに遺した。これはソ連の最高機密であった事故の真相をはじめ以下のような内容を含むものであった。 「チェルノブイリの事故について、私は明確な結論を下した。それは何年もの間続いてきたわが国の経済政策の貧困がこの事故を引き起こした、ということである。」 ある原発幹部は「原発はサモワールのようなものだ」とうそぶいていた。 RBMK原子炉は欠陥炉だ、との指摘。 欧米の原発と比較して、装置の概念は基本的にはほとんど差異はないが、制御システムや診断システムが貧弱であること。 設備に多量の黒鉛、ジルコニウム、水が入っていること。 緊急時に作用すべき防護システムの作り方が異様であること。 感知器の一つからの指示で自動的に入るにせよ、手動でするにしても、緊急防護の制御棒を扱うことができるのはオペレーターだけ。 防護システムはオペレーターとは関係なく、装置の状況によってのみ作動しなければならないのに、そのように作動するシステムはなかった。 主要配管の継ぎ目を溶接するにあたり、正規の溶接法ではなく、手抜きの溶接をした。接続部分を検査した検査員による正しい施工を確認したとのサインがなされていた。 事故発生前日のオペレーター同士の会話記録。「マニュアルには、やることが色々と書いてあるのに、それらの多くが消されているが、どうしたらいいのか」という問いかけに対し、相手のオペレーターの返事は 「消された通りやればいい。」 翌4月27日、レガソフは自宅で遺体で発見され、1本の録音テープが残されていた。現場の状況により自殺と断定された。事故後に唱え続けた原子炉の安全対策が受け入れられずに絶望したなど、死の理由には諸説がある。 さきの告発文は同年5月20日付のプラウダで公表された。 1996年9月20日、エリツィン大統領はレガソフにロシア連邦英雄の称号を授与した。 イギリスBBCは、残された録音テープをもとにドキュメンタリー番組『チェルノブイリ原発事故』"Surviving Disaster: Chernobyl Nuclear Disaster" を制作、2006年1月24日に放映した。 ただし、上記作品においてBBCはイギリス国営放送という立場から、レガソフが主に当時のソ連指導者層の対応を批判しているとの主観で描かれているが、レガソフの分析や推論を拒んだのは、西側の原子力導入各国も(多少の例外はあるものの)同じことである。
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