告発不可能な差別としてのルッキズム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 02:19 UTC 版)
「ルッキズム」の記事における「告発不可能な差別としてのルッキズム」の解説
フェミニストの吉澤夏子は、美という評価基準を人事などの不適切な場面で使うのが問題なのであって、美を個人的な場で論じるのが問題なのではないと述べている。その上で、容姿に基づく差別は「告発不可能なもの」であると論じている。 たとえば、ある会社で誰かを昇進させようとなったときに、Aさんは美人だけど実力はない、Bさんはとくに美人ではないけれどすごく実力がある、としますよね。それでAさんが選ばれたとしても、それが差別だっていう証拠をみつけるのはすごく難しい。Aさんに実力がないということが今までの業績で示されたとしても、「いや、Aさんには将来性があるんだ」とか「こういう場面では強いんだ」とか、そうした人事を正当化するために、なんとでも言うことができる。美人だから選んだということを客観的に裏付けるものは存在しないわけで、なぜかと言ったら、それは心の中の問題だからです。その人を美人と思うか思わないかって、好みの問題でもあるからすごく恣意的になる,「Aさんが美人?そんなこと思ってない」と言って自分を正当化することだってできてしまう。
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