各国での運用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 13:49 UTC 版)
「F-100 (戦闘機)」の記事における「各国での運用」の解説
F-100は、出現当初は初の超音速戦闘機故に、従来機に比べ高価で複雑な機体であり、さらに続く超音速戦闘機が続々と登場したため陳腐化が早く採用国は多くない。アメリカ合衆国以外ではトルコ、フランス、デンマーク、中華民国(台湾)で使用されたのみだった。 アメリカ合衆国 最初の量産型F-100Aは1953年後半に軍に引き渡され、1954年9月から運用を開始した。当時、MiG-19の存在を認識していなかったアメリカ合衆国では、F-100が世界で最も高性能の戦闘機だと思われていた。 F-100Dはベトナム戦争で最初は戦闘爆撃機として北爆に使用された。すぐ後にF-105が登場すると爆撃任務を譲る事となったが、F-105がMiG-17に撃墜され戦闘機失格とされる事件が起きたため、護衛戦闘機として使用された。だが、結局F-100はMiG-17を撃墜する成果を残せなかった(一度だけ逃げるMiG-17に機関砲射撃で致命傷を与えたことがあるが、惜しくも撃墜未確認となった)のに対し、F-105は果敢にMiG-17に挑んで撃墜記録を残した。これは、F-100が当時既に空対空戦闘の必須装備となっていた捜索レーダーを搭載していなかったことが大きく影響している。F-100の照準器はF-86Aにも搭載されたAN/APG-30であり、有視界下で目視により対象を捕捉、レーダー正面に捉えることにより機銃やロケット弾の見越し角を表示するという、完全に時代遅れのものであった。 F-4が登場するに至って北爆から外されるが、南ベトナムにおいての近接航空支援任務に回され、1971年まで使用された。ただしこの任務に用いるには適した機体とは言えず、後にA-10が開発される理由のひとつともなっている。第一線部隊からは1972年に姿を消し、空軍州兵では1980年まで運用された。 なお、1956年から1968年までアメリカ空軍の曲技飛行隊・サンダーバーズでも使用された(1964年に一度F-105と交代するが、同年5月に発生した事故により飛行停止となったため再び使用している)ほか、ゼロ距離発進の試験にも用いられた。 トルコ 1958年から運用を開始したトルコ空軍のF-100C/D/Fは、F-4EやF-104G、F-102A、RF-84Fなどと共にキプロス紛争に投入されて対地攻撃に大きな力を発揮しているが、1974年7月21日にはギリシャ海軍のフレッチャー級駆逐艦の40mm対空砲による砲火で一度に4機が撃墜されるなど損害も小さくはなかった(この日はF-104G等他の航空機も損失を出しており、トルコにとっては厄日であった)。アメリカ空軍およびデンマーク空軍を退役した機体の譲渡を受けたため最終的な受領機数は310機に達し、1980年代初頭まで使用された。 フランス フランス空軍では、1958年から85機のF-100Dおよび15機のF-100Fが使用された。その多くが核攻撃任務のため西ドイツに配備されたが、フランスがNATOから脱退すると核攻撃任務を解かれ本国に引き上げられた。また、アルジェリアの国家主義運動に対する爆撃に投入されている。1978年に退役。 デンマーク デンマーク空軍では、1959年から1974年にかけてF-100D/Fが74機導入された。1982年までにサーブ 35 ドラケン(デンマーク空軍の呼称ではF-35)やF-16と交代して退役し、一部機体はトルコ空軍へ譲渡された。 中華民国 中華民国空軍では、1958年にF-100Fを1機受領したのを皮切りに、F-100A/RF-100Aが84機導入された。一部機体はF-100D相当に改修されている。中華人民共和国内への偵察行動において、人民解放軍の迎撃により失われた機体もある。 トルコ空軍のF-100C フランス空軍のF-100D デンマーク空軍のF-100F 台湾空軍のF-100A
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