情報源
(取材源 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/27 10:12 UTC 版)
情報源(じょうほうげん)には主に次の2つの意味がある。
- 情報の提供者、入手元、入手経路、発信源(ソース、英: information source)。例えば、歴史においては史料(英: historical source)、調査・研究においては資料(英: source text)。ジャーナリズムにおいては、取材源 (Journalism sourcing) 。
- 情報理論の概念。
情報の提供者、史料、資料
様々な情報源
情報源としては例えば次のようなものがある[1]。
- 書籍 - 書籍は一つのテーマを徹底的に論述し、しばしば歴史的な文脈の中で具体的な反論を提起しており有益である[1]。
- 定期刊行物 - 定期的に刊行されているもの。一般向けの定期刊行物もあるが、専門家向けの定期刊行物(専門誌)もある。季刊誌、月刊誌、週刊誌など。
- 新聞 - 議論の行う時にはしばしば最新の情報、タイムリーな情報が必要だが、新聞はそうした情報源として優れている[1]。
- 年鑑とデータブック - 具体的な統計を探すのに適しており、それを書籍で探すよりも時間の節約になることが多い[1]。
- 政府刊行物 - 政府側の見解や、政府が把握している情報を調べるのに適した情報源。委員会や公聴会などにおける専門家の発言などを知るのにも役立つことがある。
- 人物による口頭での発言、証言 - 裁判などでは人の証言が決定的な根拠となることも多い。
信頼性の検討
情報源に着目しつつ情報の内容を確認することによって、得られた情報の内容の信頼性を吟味することもできる。ひとつは、同じ情報源から得られる別の記述と整合性があるか、また、別の情報源から得られる記述・証言と整合性があるかを確かめる[1]。この2つの作業によって信頼性を吟味することができるのである[1]。ジーゲルミューラーは前者を「内的整合性」後者を「外的整合性」という用語で呼んでいる[1]。
同一の情報源からの情報でありながら別の箇所の記述と整合性を欠いている場合は、その情報源の信頼性に疑問符がつくことになる[1]。不整合があるということは、何らかの不注意や上滑りな分析がそこに含まれている可能性を示唆している[1]。
裁判においては検察官や弁護士は証人の発言の内的整合性に特に注意を払う[1]。内的整合性がない、との指摘で証人の発言内容の信頼性は下がってしまうのである[1]。 中絶を巡る議論でも、中絶賛成派が論拠に持ち出す話の内部整合性のなさが中絶反対派から批判されることがある[1]。母体の生命を保護するために中絶を認めるべきだとしておきながら胎児の生命は失っても問題ないとするのでは、生命の普遍性という観点からは内部整合性を欠いているのである[1]。
外部整合性について言うと、独立した、別々の情報源からの情報と整合性があるかどうかを調べてみる、ということである[1]。ある人の発言が他の様々な情報源の著しく食い違い支持者が全くない場合は、その発言を根拠としてしまうことには問題が出てくる[1]。ジーゲルミューラーによれば、複数の情報源で情報に食い違いがある場合でも、ただちに情報元の信頼性がすっかり失われてしまうわけではないが、問題となっている主題に関しては複数の情報元のどれがより信頼できるのか検討が必要となってくるという[1]。
外的整合性の有無は根拠を保証する肯定的な使い方も、根拠を拒否する否定的な使い方もできる[1]。歴史学者のルイ・ゴットシャルクは「独立的実証」という概念について次のように説明している[1]。「歴史学者が用いる一般的な規則というのは、二人以上の信頼できる証人の独立した証言に基づく事項だけを、歴史的なものとして受け入れることである」。二つの独立した(無関係な)情報源から同一の意見や前提が得られ、それを根拠として用いれば、より高い信頼性が得られるのである[1]。
情報理論
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情報理論においては、情報源とはビット列(もしくはより一般になんらかのシンボルの有限列)が、選ばれるもととなる空間の事[要出典]。より厳密に言えば、シンボルの有限列全体の空間とその上の確率分布の組のこと。シンボルの有限列はその確率分布に従って選ばれる[要出典]。
代表的な情報源として次のものがある:
無記憶情報源とは、各シンボルが統計的に独立に発生する情報源である。この種の情報源は、各シンボルの生起確率
取材源
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/29 08:16 UTC 版)
『グリム童話集』は長い間、グリム兄弟がドイツ中を歩き回って、古くから語り継がれてきた物語をドイツ生粋の素朴な民衆たちから直接聞き集め、それを口伝えのかたちのまま収録して出版されたものだと一般には考えられてきた。このように考えられてきたのは、一つにはグリム兄弟自身が童話集の序文でそのように宣言したためであったが、現実には「口伝えのかたちのまま」ではなく、兄弟の手によって少なからず手が加わっていることは前述したとおりである。取材源に関しても、『グリム童話集』にはラテン語の書物などを含む文献から取られた話が一定数含まれており(初版では全体の4分の1程度、第7版では5分の1程度 の話が文献から取られている)、すべてが口伝えの聞き取りによっているわけではない。さらにほかの口伝えの情報源に関しても、ドイツのグリム研究者として世界的に有名なハインツ・レレケによる比較的近年の研究によって、上記の「ドイツ生粋の素朴な民衆から聞き取った」という通説が事実とは大きく異なっていたことが明らかにされている。実際には兄弟の聞き取りの取材源のほとんどが都市富裕市民の家庭であり、その中にはフランスなどをルーツとする人物が少なからず含まれていたのである。 グリム兄弟自身は生前メルヒェンの取材源を公にしなかった。唯一の例外がカッセル地方の仕立て屋の妻であった「フィーマンおばさん」ことドロテーア・フィーマン(ドイツ語版、英語版)であり、グリム兄弟は第2版の序文で、多数のメルヒェンを提供した彼女の貢献を称え、弟のルートヴィヒ・グリムが書いた彼女の肖像画を掲載したため、彼女は昔話の理想的な語り手として読者から親しまれきた。しかしこの人物は、実際には旧姓をピアソンという、フランスから逃れてきたユグノーの家庭の出で、普段はフランス語を話し『ペロー童話集』などもよく知っている教養ある婦人であったことがヴェーバー=ケラマンの研究によって明らかにされた。 グリム兄弟の没後、ヴィルヘルムの息子のヘルマン・グリムは、兄弟による取材源のメモを公表した。この際にヘルマンは、メモのなかにある「マリー」という女性について、これは自分の母(ヴィルヘルムの妻となったドルトヒェン・ヴィルト)の実家に住んでいた戦争未亡人のおばあさんで、昔話をよく知っていたと証言している。そのためにこの「マリーおばさん」は、先述の「フィーマンおばさん」と並び『グリム童話集』に貢献した昔話の語り手と信じられるようになった。ところがこれも1975年に発表されたレレケによる研究で、このマリーとは実際には戦争未亡人の老婆「マリーおばさん」などではなく、ヘッセンの高官の家庭であるハッセンプフルーク家の令嬢マリー(de)のことであり、その母親はフランス出身のユグノーであったことが明らかにされた。 レレケはこのほかにも、グリム兄弟にメルヒェンを提供した人物の詳細な調査を行い、特に初期の重要なメルヒェン提供者の多くが身分ある家庭の夫人や令嬢であったことを突き止めている。総じてグリム兄弟は(一般に信じられていたように)農村を歩き回って民衆から話を聞き取ったりはせず、中流以上の裕福で教養ある若い女性に自分のところまで来てもらって話の提供を受けていたのである。ただしレレケは、メルヒェンの提供者が教養ある人物であったことは、必ずしもそれらが上流階級の間でのみ語られていたことを意味しないということに注意を促してもいる。読み書きができ、話もうまいこれら上流階級の女性は下層階級(下僕や女中など)から聞いた話を仲介する役割も担っており、下層階級の人々にとってもそのような仲介は必要なことであった。
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