印象主義への回帰、都市シリーズ
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「カミーユ・ピサロ」の記事における「印象主義への回帰、都市シリーズ」の解説
50km 旧オート=ノルマンディー地域圏 旧バス=ノルマンディー地域圏 イル=ド=フランス地域圏 オー=ド=フランス地域圏 サントル=ヴァル・ド・ロワール地域圏 ル・アーヴル ルーアン ヴァランジュヴィル ディエップ エラニー=シュル=エプト セーヌ川 イギリス海峡 1891年1月にブッソ・ヴァラドン商会のテオが亡くなると、デュラン=リュエルはピサロに「彼が亡くなった今、どうか私を全面的に信頼してください」と取引の再開を申し出た。ピサロはこれに応じ、1892年1月、デュラン=リュエル画廊で個展を開いた。油彩画50点とガッシュ画21点を展示した。ジョルジュ・ルコントとオクターヴ・ミルボーはこれを絶賛し、作品の売れ行きも好調であった。また、1892年、ピサロは、モネから1万5000フランを借りて、賃借していたエラニーの家を買い取った。この年には、息子リュシアンの結婚に伴ってイギリスを訪れたり、フランス北部レ・ダン(英語版)の友人ミルボーの家を訪れたりして、それぞれ制作している。 デュラン=リュエルは翌1893年以降も、パリやニューヨークで継続的にピサロの個展を開き、各国で開いた展覧会にもピサロの作品を展示した。デュラン=リュエルは、ピサロが生涯で制作した作品の3分の1以上である500点以上の絵画を購入している。 1893年には、眼の病気が悪化し眼科医から埃っぽい街に出ないよう忠告されたことから、パリのサン・ラザール駅前のホテルの部屋にこもって目の前に広がるパリの町を描いた。 1894年6月、ピサロの妻のジュリーと息子のフェリックスとともにベルギーへ旅行し、風車小屋、赤い屋根、砂丘などを描いた。しかしデュラン=リュエルからは評価されず、ピサロは作品が売れないことを嘆いている。その後、1895年にかけて、エラニーの家で裸婦と浴女の作品を16点描いた。 1894年に亡くなったギュスターヴ・カイユボットがマネ、ドガ、ピサロ、モネ、ルノワール、セザンヌなどの名品を含むコレクションをフランス政府に遺贈したが、アカデミーの反対に遭い、論争の的となった。アカデミズム絵画の泰斗ジャン=レオン・ジェロームは、「ここには、モネ氏、ピサロ氏といった人々の作品は含まれていないでしょうか? 政府がこうしたごみのようなものを受け入れたとなれば、道義上ひどい汚点を残すことになるでしょうから。」と述べた。しかし、1896年にようやく、ピサロの作品7点を含め、コレクションの一部が国立のリュクサンブール美術館に収められ、公的な認知が進んだことを示した。 1896年初頭、ピサロはルーアンを再訪し、ホテルの部屋から港の風景を描いた。同年末にもルーアンで制作している。 ピサロは1897年1月以降、再びパリのホテルに滞在し、サン・ラザール通りやモンマルトル大通り(英語版)のシリーズを制作した。。同年春、ピサロの息子のリュシアンが病気で倒れ、ピサロは看病のためロンドンを訪れた。その年の11月25日には、ロンドンで息子フェリックスが結核で亡くなるという悲劇に見舞われた。11月から翌1898年4月にかけて、ホテルの部屋から、様々な天気の下、オペラ大通り(英語版)、テアトル・フランセ広場、サン=トノレ通りを描いた。これらの大通りのシリーズは、同年6月、デュラン=リュエル画廊で展示され、ギュスターヴ・ジェフロワから高い評価を受けた。 同年(1898年)1月、ドレフュス事件でゾラが『私は弾劾する』を発表すると、フランスの世論は二分された。ユダヤ人であったピサロは、アルフレド・ドレフュスの無罪を信じ、ゾラを支持した。この件を機にピサロはドガとルノワールという友人を失った。ドガやセザンヌは愛国主義の立場から反ドレフュス派に就き、ルノワールは反ユダヤ主義者であるなど、この事件はフランス全体だけでなく印象派グループの中も分断した。 『オクターヴ・ミルボーの庭、テラス、レ・ダン』1892年。油彩、キャンバス、73 × 92 cm。個人コレクション。 『ル・アーヴル広場、パリ』1893年。油彩、キャンバス、60.1 × 73.5 cm。シカゴ美術館。 『ルーアンのボワエルデュー橋、日没、霧』1896年。油彩、キャンバス。ルーアン美術館。 『夜のモンマルトル大通り』1897年。油彩、キャンバス、53.3 × 64.8 cm。ナショナル・ギャラリー(ロンドン)。
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