印象主義とその克服
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「ポール・セザンヌ」の記事における「印象主義とその克服」の解説
パリで、ピサロから、戸外で自然を見て描くという印象主義の発想を教えられ、田園の風景画を描き始める。彼は、印象派を通して、色彩を解放することを知った。しかし、モネやアルフレッド・シスレーが、色彩によって、瞬間的な色調の変化や、その場の雰囲気を伝えようとしたのに対し、セザンヌは、色彩による堅固な造形を目指している点に特徴がある。第1回印象派展に出品した『首吊りの家』においては、明るい色彩を用いながら、一瞬の映像ではなく、建物の力強い実在感や、空間を構成しようとする意図が表れている。 ゾラがセーヌ川沿いに購入した家を描いた『メダンの館』でも、水平線と垂直線が作り出す構図の中に、短い筆致(ストローク)が秩序立って並べられており、キャンバスの表面における秩序が追求されている。このように、色調を微妙に変えながら、斜めに平行して筆致を並置することで秩序を生み出そうとする技法は、シオドア・レフ(英語版)によって構築的筆致と名付けられた。最初はロマン主義的人物群像に用いられていたが、1879年-80年頃から、風景画に用いられるようになった。 また、形態の喪失という印象派の抱える問題点を克服するために、輪郭線の復活によって対処しようとしたルノワールとは異なり、セザンヌは、人物、静物、風景を問わず、物の形を、面取りをしたように、面の集合として捉えた上で、キャンバス上に小さい色面を貼り合わせたように乗せ、立体感を強調した。1895年以降の作品には、構築的筆致よりも広い色面が、撒き散らされたように並べられている。そして、伝統的な明暗法や肉付法が、無彩色により陰影を付けていたのとは異なり、ストローク(筆致)で分割された有彩色を段階的に変化させるモデュラシオン(転調)という技法により、明暗や量感を表現した。その代わり、肌の質感や輝きは、切り捨てられている。彼の「自然を円筒、球、円錐によって扱う」というフレーズは、幾何学的形態への還元を勧めるものと解釈され、後のキュビスムに理論的基盤を与えた。もっとも、セザンヌの真の意図については様々な解釈があり、自然界の物が眼との距離によって様々な色彩を見せるため、モデュラシオンを行う必要があるという意味だとも言われる。 セザンヌの1880年代の静物画では、緊張感をはらんだ歪み(デフォルマシオン)が現れる。オルセー美術館にある『果物籠のある静物』では、砂糖壺が傾いていたり、壺が上から覗き込んでいるように描かれているのに対し、果物籠が横から見たように描かれているなど、複数の視点が混在していたり、テーブルの左右の稜線が食い違っていたりという、多くのデフォルマシオンが生じている。それが物の圧倒的な存在感をもって見る者に迫ってくる要素となっている。こうした独特の造形は、同時代の人々からは激しく非難されたが、これも後のキュビスムによって評価されることになる。 セザンヌは、晩年、「自然にならって絵を描くことは、対象を模写することではない、いくつかの感覚(サンサシオン)を実現(レアリゼ)させることだ」と述べていた。このように、「感覚の実現(レアリザシオン)」はセザンヌのスローガンとなるが、そこでいう感覚には、自然が網膜にもたらす色彩の刺激という意味と、自然から得た感覚を統御して秩序を構築する芸術的感覚という意味の二つがあった。すなわち、モネに代表される印象派が、眼を通して受け入れた感覚世界を色彩に分解してキャンバスに写し取ることを追求したのに対し、セザンヌにとっては、見ることとは、自己の内部にある知的秩序に基づく認識作用であり、しかも、認識の対象は、赤や青の斑点ではなく、りんごや山といった実在であった。「絵画には、二つのものが必要だ。つまり眼と頭脳である。この両者は、お互いに助け合わなければならない。」という言葉にも、彼の考え方が表れている。
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