北朝鮮の活動概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 02:33 UTC 版)
「北朝鮮による日本人拉致問題」の記事における「北朝鮮の活動概要」の解説
建国当初から武力行使を辞さぬ形で、朝鮮半島を統一することを標榜してきた北朝鮮は、休戦した朝鮮戦争からの復興事業を一段落させた後、1960年代に入ると、敵国の韓国に対する諜報活動を活発化させた。時には直接の破壊工作も行ったと言われている。その工作活動は、少なくとも1980年代まで続けられていたことが確認されている。これらについては北朝鮮側からの反論もなされている。 1977年、金正日は、北朝鮮の工作員たちに対し「マグジャビ」(手当たり次第)に外国人を誘拐するよう命じている。北朝鮮の工作員だった辛光洙は複数の拉致事件に関与したとされ、その被害者のひとりが横田めぐみである。なお、日本政府は長期にわたって辛の引き渡しを求めてきた。 朝鮮戦争の交戦時に韓国側を支援していた日本は国内において、休戦中の1970年代から1980年代にかけ、不自然な形で行方不明となる者が出ていた。警察による捜査や、亡命した北朝鮮工作員や逮捕された土台人の証言などから、北朝鮮による日本人拉致の疑いが濃厚であることが明らかになった。 また朝鮮総連に所属した在日朝鮮商工人の文東建が日本国内で建造した貨客船を北朝鮮に寄贈した事による昭和51年(1976年)の金日成と文東建のツーショット写真は在日朝鮮人社会に大きな衝撃を与え北朝鮮への在日送金が始まる事になり、北朝鮮による核開発と核実験が公然と報道されるようになる2000年代後半まで在日送金は取り締まりや制裁すら一切無くその総額を佐藤勝巳は天文学的な金額と書いた。在日社会が衝撃を受けた翌年の昭和52年(1977年)には宇出津(うしつ)事件や少女拉致事案が起き、在日送金の始まりとなった貨客船は7年後に北朝鮮兵士をミャンマーに運びラングーン事件を起こし、日本人に成り済まして大韓航空機爆破事件を起こして捕まった北朝鮮工作員金賢姫の日本語教師は昭和53年(1978年)に拉致された田口八重子であった。 それまで主として、韓国国内で活動してきた北朝鮮の工作員らが、この時期以降、韓国当局の手によって数多く摘発されるなど、韓国当局による北朝鮮工作員への警戒が非常に厳しくなった。そこで在日韓国・朝鮮人らを抱き込んで、韓国に入国させての対韓国工作活動の遂行が困難になってきた。そのため、北朝鮮当局は日本人に成り済まして、工作員を韓国に入国させる手口が有効であると考え、韓国のみならず、世界各国の出入国に便利な日本人のパスポート(旅券)を奪取するため、また同時に、工作員を日本人にしたてるための教育係としての利用、あるいは日本国内での工作活動の利便性を向上させる目的で、複数の日本人を拉致したとの指摘がある。 一方で、特定失踪者問題調査会の調査結果によると、拉致されたもしくは拉致された疑いが濃厚な者(俗に言う1000番台リスト)が失踪前に従事していた職業を詳細に調べた結果「印刷工」「医師」「看護師」「機械技術者」といった、北朝鮮が国際的に立ち遅れている分野を担う職業に集中していることが判明している。また、これらの特殊技能を持った拉致被害者に、日本人の配偶者を与え、家族を人質とすることにより、脱北させないようにするために、日本人を拉致した例も、多数あるのではないかとの指摘もある。北朝鮮には、1970年代にはよど号ハイジャック事件で北朝鮮に「亡命」した日本人男性が少なからずおり、「国家の賓客」として扱われていた。
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