北朝鮮の権力抗争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 16:05 UTC 版)
「満洲派 (朝鮮労働党)」の記事における「北朝鮮の権力抗争」の解説
1950年6月25日、武力統一を図った朝鮮人民軍は南への攻撃を開始し、朝鮮戦争が勃発する。この戦争のさなかの1950年11月、金日成は延安派の有力者であった武亭に敗退の責任を負わせ排除、さらに1951年11月には、ソ連派の中心人物であった許哥誼を「懲罰主義」であるとして攻撃した(許哥誼はのちに自殺、もしくは飲酒運転を強要され交通事故死したとされる)。1953年には朴憲永をはじめとする南労党派にアメリカのスパイとの罪状を負わせて粛清した。 1956年にフルシチョフによるスターリン批判が行われ、北朝鮮でも金日成個人崇拝への批判があらわれた。延安派・ソ連派は金日成に挑戦するも失敗し、満洲派・甲山派の反撃(カウンター・クーデター)によってその勢力は一掃された(八月宗派事件)。 1967年には甲山派も「マグチャビ(「一網打尽」を意味する朝鮮語)」と称される大粛清を受け、満洲派の権力独占が完成した。唯一思想体系を採択すると金日成に対する個人崇拝が強化された。
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