北朝鮮の満州派パルチザン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 13:51 UTC 版)
「抗日パルチザン」の記事における「北朝鮮の満州派パルチザン」の解説
金日成を中心とする満州派パルチザンは、ソ連軍が占領した朝鮮半島北部へ入り、北朝鮮建国の中核となった(詳しくは、朝鮮民主主義人民共和国の歴史を参照)。 解放後の1945年(昭和20年)10月14日に、北朝鮮に進軍したソ連軍は、金日成を国の指導者(革命家)として平壌市民に紹介したが、「1920年代に活躍した闘士ならとっくに銀髪であるはずなのに」といぶかる者が多かったという。 もともと日本統治時代の朝鮮には、独立武装闘争をくりひろげる「キム・イルソン将軍伝説」があり、「日本陸軍士官学校を出ている」「義兵闘争のころから1920年代まで活躍した」「縮地の法を使い、白馬に乗って野山を駆けた」「白頭山を根城にして日本軍と戦った」「ロシア・満州 満州・朝鮮半島の国境付近で抗日闘争をしていた」などといわれていた。この伝説にあやかり、金成柱は1930年(昭和5年)以降のある時点から、金日成という仮名を使っていた。 「金日成偽者説」を否定した和田春樹も「『満州事変』の開始とともに、武装闘争をめざした彼は、そのために本名の金成柱を隠し、間島地方に流れる伝説上の英雄の名、金日成を名乗るにいたったものと考えられる」と述べている。
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