北朝鮮の文学
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1945年8月、朝鮮が日本統治終了を迎えると、38度線以北では金日成を中心とする抗日パルチザン闘士達が政権を形作る。文学もまた彼ら「抗日パルチザン」を形象化していくことを第一とした。 日本統治終了直後から自然発生的に文学・芸術団体が各地域で結成されていたのを、1946年2月、朝鮮労働党は「北朝鮮文学芸術総同盟」として単一組織にまとめた。その綱領の中で帝国主義、資本主義を排斥すると同時に人民民衆の啓蒙とソ連を中心とする西側諸国との文化の交流を目的とすることを定め、文士のプロレタリア主義思想を養成する。 日本統治終了後の詩文学では趙基天の「白頭山」、小説では李箕永の「蘇える大地 (땅)」が代表的である。その他にも「KAPF」の同人である朴世永、朴八陽、宋影、また中国から帰国した金史良などが作品を執筆している。1950年6月25日、朝鮮戦争が勃発しても文士の筆は止まることなく、地下印刷工場が作られて雑誌や文庫が発行され、その作品の数は3千を越えるとも言われている。金朝奎、崔石斗、李秉哲、閔丙均、朴雄杰、千世鳳、尹世重、李北鳴などはこの時期に執筆した文士である。その作品の多くは詩かルポルタージュであった。こうした文壇の流れの中で、朝鮮戦争のさなか、日本統治終了前の作家達の多くが死亡、若い作家達が台頭し、北朝鮮文壇は大きな転換をする。 朝鮮戦争が休戦を迎え政治が落ち着くと、文壇にも優れた文学が登場するようになる。李箕永の長篇『豆満江』が1954年にその第1部が発表されたことは北朝鮮文学の真の始まりを印象付けるものである。その他に千世鳳の『ソッケウルの新春 (석개울의 새 봄)』(1958-65年)、尹世重の『試練の中で (시련 속에서)』(1957年)、黄健の『ケマ高原 (개마고원)』(1956年)などがこの時期の代表作である。 1960年代後半に入ると、北朝鮮文壇に変化が起きる。それ以前からも文学の中に登場していた金日成がこの時期以降から文学作品の中に頻繁に登場しだした。祖国解放闘争の指導者として、または社会主義朝鮮建設の指導者として金日成の形象化が成されはじめたのだ。よってこの時期より北朝鮮文学を「主体文学」とも呼ぶようになる。だが一方で、女性問題、社会問題、恋愛を主題とした作品が80年代以降顕著になっていることも事実である。白南龍の小説『友』は、北朝鮮の芸術団で声楽家として活動している若い女性が離婚訴訟を起こすストーリーを描いたもので、1988年の発表後、北朝鮮でベストセラーになり、ドラマ化もされています。
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