北朝鮮の文学とは? わかりやすく解説

北朝鮮の文学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 16:30 UTC 版)

朝鮮文学」の記事における「北朝鮮の文学」の解説

1945年8月朝鮮日本統治終了迎えると、38度線以北では金日成中心とする抗日パルチザン闘士達が政権形作る文学もまた彼ら「抗日パルチザン」を形象化していくことを第一とした。 日本統治終了直後から自然発生的に文学・芸術団体各地域結成されていたのを、1946年2月朝鮮労働党は「北朝鮮文学芸術総同盟」として単一組織にまとめた。その綱領の中で帝国主義資本主義排斥する同時に人民民衆啓蒙ソ連中心とする西側諸国との文化交流目的とすることを定め文士プロレタリア主義思想養成する日本統治終了後詩文学では趙基天の白頭山」、小説では李箕永の「える大地 (땅)」が代表的である。その他にも「KAPF」の同人である朴世永朴八陽宋影、また中国から帰国した金史良などが作品執筆している。1950年6月25日朝鮮戦争勃発して文士の筆は止まることなく地下印刷工場作られ雑誌文庫発行されその作品の数は3千を越えるとも言われている。金朝奎、崔石斗、李秉哲、閔丙均、雄杰、千世、尹世重、北鳴などはこの時期執筆した文士である。その作品多くは詩かルポルタージュであったこうした文壇流れの中で、朝鮮戦争のさなか、日本統治終了前の作家達の多く死亡、若い作家達が台頭し北朝鮮文壇大きな転換をする。 朝鮮戦争休戦迎え政治落ち着くと、文壇にも優れた文学登場するうになる李箕永長篇豆満江』が1954年にその第1部発表されたことは北朝鮮文学真の始まり印象付けるのであるその他に千世の『ソッケウルの新春 (석개울의 새 봄)』(1958-65年)、尹世重の『試練の中で (시련 속에서)』(1957年)、黄健の『ケマ高原 (개마고원)』(1956年)などがこの時期代表作である。 1960年代後半に入ると、北朝鮮文壇変化起きる。それ以前からも文学中に登場していた金日成がこの時期以降から文学作品中に頻繁に登場しだした。祖国解放闘争指導者として、または社会主義朝鮮建設指導者として金日成形象化が成されはじめたのだ。よってこの時期より北朝鮮文学を「主体文学」とも呼ぶようになる。だが一方で女性問題社会問題恋愛主題とした作品80年代以降顕著になっていることも事実である。白南龍小説『友』は、北朝鮮芸術団で声楽家として活動している若い女性離婚訴訟起こすストーリー描いたもので、1988年発表後北朝鮮ベストセラーになり、ドラマ化もされています。

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