加悦奥とは? わかりやすく解説

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加悦奥

読み方:カヤオク(kayaoku)

所在 京都府与謝郡与謝野町

地名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

〒629-2401  京都府与謝郡与謝野町加悦奥

加悦奥(かやおく)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 00:47 UTC 版)

加悦谷祭」の記事における「加悦奥(かやおく)」の解説

加悦奥区は、峠を境に兵庫県出石郡但東町接す西部狭隘谷間集落である。加悦奥川とその支流である有熊川沿いに展開し、七谷神社(しちや神社)、一宮神社二宮神社の3社があり、3社の氏子合同祭礼を行う。 火の神水の神風の神の3祭神とする一宮神社創建古く、旧但馬街道鎮座し15世紀中頃文明年間から江戸時代まで、旧暦8月28日行われた例祭では府中一宮籠神社まで神輿渡御した。有熊川沿いの集落には祭礼の際に神輿休ませる石があった「神輿田」と呼ばれる田があり、現在は石は田圃整備のため移動されたが、「神輿殿跡」として石の一部が残る。このため当社籠神社元宮とも口伝される。氏子は、加悦奥区の西側地域住民である。 二宮神社は、文明年間豊田原から現在地遷座し、1844年弘化元年)に日吉社合祀した慶応神社書上帖には祭神大宮売命と記すが、伊邪那岐伊邪那美の2祀っている。氏子は、加悦奥区の東側地域住民である。 七谷神社は、もとは日蓮宗実相寺前身である法光寺跡地近く所在し七面天女祀った庵を発祥とする。江戸時代末期七面大明神称して神格化し明治維新の後に七谷神社と号された。市杵島姫命祭神とし、この神霊15世紀中頃文明年間広島厳島神社から分霊したと伝わる。御神体1715年正徳5年)に開眼され、社殿1845年弘化2年3月再建されている。氏子は、加悦奥区の全域に散る日蓮宗檀家のみである。 加悦谷祭では、宵宮は、神楽丸1日全ての家々巡ってカマド清め」と「所望舞」をおこなう。祭礼は、日付変わってすぐの深夜0時から始まる。まず、上地区(上組)にある一宮神社で「剣の舞」を奉納し、剣に神をおろす。神を宿した剣で、各家々カマド清めをおこなうための儀式で、奉納後は但東町との県境の加悦奥峠にある愛宕神社向かい愛宕神社下でも奉納舞を納めた後、上組家々から順にカマド清めにまわる。おおむね深夜1時頃からまわり始めるため、迎え家々では電気付けて玄関の鍵を開けておく。要望があれば庭などで所望舞を舞うが、この所時間1回30程度であり、所望舞の後は酒食接待を受ける。古くは、宮総代の家で朝食摂るのが慣例となっていた。加悦奥区全戸をまわるため、神楽2班わかれてまわっても夜までかかる子ども屋台は、宵宮午後から夜に3社の子ども屋台それぞれに巡行する。上組の子ども屋台稲荷山」では、巡行開始祭礼責任者である「山長老」の自宅とされており、毎年異なるが、巡行そのものは山長老宅を始点として、地区の奥の家からまわると定められている。屋台は各家を5分程度でまわり挨拶をして花代受け取るが、あらかじめ依頼しておいた「宿」と呼ばれる家では、主食振る舞われ15分程度休憩する中組では、巡行路は地区の下の家からまわる下周りと、上の家からまわる上周り1年ごとに交代し、「宿」には商家役員宅や祝い事のあった家などにあらかじめ依頼しておく、。屋台入っていくことができない細い通りに「宿」がある場合には、太鼓屋台から降ろして「宿」の玄関先まで運び、笛と太鼓披露する下組では、巡行路は決まっており、屋台が寄る家は山長老組長などの役員宅、会社経営者、祭礼関わり世話になった家、祝い事のあった家などで、太鼓や笛を披露し、ときに酒食接待を受ける。 本宮では、1942年から1943年昭和1617年)頃までは、傘鉾先頭とし、3社の幟、太鼓三味線、鉦に続いて屋台巡行したが、戦時中に祭が途絶え1952年昭和27年)に復活した後に現在の形に変更された。神主、3社の総代区長神楽屋台が行列となり、二宮神社、七谷神社、一宮神社の順に神事神楽奉納などの祭礼しながら巡行を行う。祭礼数日前には各家に御幣配られているが、家庭ではそれを神棚祀っておき、本宮では各家がそれを神社奉納する喪中の家は鳥居をくぐれないので、代わりに奉納してもらう。 祭事担当地区団体以下の通り神楽舞 - 加悦奥神楽保存会 伊勢神宮縁と伝わる男舞で、「カマド清め」の舞のほか、「剣の舞」「鈴の舞」「乱獅」の3曲を奉納舞や所望舞に舞うものとして伝える。保存会には高校卒業後の男子35,36歳頃まで参加する戦後娯楽のない時代に、青年団宮津市日ケ谷の落山地区から習い受けたもので、後に保存会移行した太鼓屋台「稲荷山巡行 - 上組 太鼓屋台「蛭子山」巡行 - 中組 太鼓屋台「春日山巡行 - 下組 ウィキメディア・コモンズには、一宮神社(加悦奥)に関するカテゴリありますウィキメディア・コモンズには、七谷神社(加悦奥)に関するカテゴリありますウィキメディア・コモンズには、二宮神社(加悦奥)に関するカテゴリあります太鼓屋台「春日山巡行 神楽による「カマド清め」の巡行カマド清め舞」通常玄関内で行うが、留守宅では玄関先で行う。

※この「加悦奥(かやおく)」の解説は、「加悦谷祭」の解説の一部です。
「加悦奥(かやおく)」を含む「加悦谷祭」の記事については、「加悦谷祭」の概要を参照ください。

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