力士引退後のエピソード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 23:30 UTC 版)
格闘家デビュー後、右腕に「AKEBONO」のタトゥーを、左腕に「YOKOZUNA」のタトゥーを、足に綱のタトゥーを、右腕はハワイの民族模様をモチーフにしたデザインをアメリカの有名デザイナーTOKYO HIROが手がけた。 トランクスには雲龍型の土俵入りがデザインされていて、腰のゴムバンドの部分に妻と子供の名前の頭文字である「C」を4つ入れている。チームユニフォームもTOKYO HIROによってデザインされている。 プロレス参入後、「相撲をやっていたので前回り受身はできるが、後ろ受身は出来ない」と告白したことがある。 格闘技に関しては賛否両論があるが、プロレスについては師匠である武藤も「オレも天才と言われるが、本当の天才は曙」とコメントしている。K-1、総合格闘技で不振が続いていたため「横綱の歴史から抹消しろ」と言われたことがあり、その上プロレスデビューを巡ってプロレスファンや関係者から「マケボノ」と本気で侮蔑されたというが、それだけに全日本プロレスへ入団が決定した際は大変喜んでいた。格闘技やプロレスへの参戦は大局的に相撲普及のためであるといい、本人は「アメリカで相撲の団体を作る」といった目標も持っている。K-1やWWEなどのリングに上がった目的の一つとして相撲普及に必要な人脈作りと挙げたこともあり、元横綱である自分が格闘技での不振やプロレスでの迷走を辞さない理由について「相撲を理解していない人がやったら、ただのスポーツになってしまうから」と、本人なりに元横綱の使命を背負っていることを説明している。 普段は寡黙なイメージの曙であるが、全日本プロレス参戦時にTARUから「札幌で負けたらマケボノに改名しろ!」と挑発された際に、「オイ、お前ら、うるさいんじゃい! 札幌で叩きつぶしてやるから負けたら(TARUが率いるVMを)解散しろ!」と応戦している。 曙はグレート・ボノ(モンスター・ボノ→ボノちゃん→ボノくん→グレート・ボノへと成長)に関しては別人だと語っている。 『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』での企画「バナナマン設楽を倒せ!芸能界手押し相撲最強決定戦!!」で、ラストボスとして出場。その際相手の設楽統に「こんなでっかい人『ONE PIECE』でしか見たことない!!」と言われた。結果は曙の圧勝。 自身の著書『大相撲のぶっちゃけ話』で相撲界の特殊な女性関係を証言した。それ以外に、同著書では1991年7月場所中に名古屋の温泉宿で夏の甲子園大会を初戦で敗退して落ち込んでいた鈴木一朗(当時愛工大名電3年)を励ました逸話も記述されており、プロ野球選手イチローとなって曙に再会した鈴木一朗は当時自身を励ましてくれた曙に対して大いに感謝の意を述べた。 2013年6月、師範代として東関部屋に招聘され、相撲協会を退職して以来10年ぶりに相撲界に復帰した。因みに東関部屋の所在地は2019年現在の曙の本籍地であり、退職前の経緯から「二度と稽古場には立てないと思っていた」そうである。 年下のレスラーに対しても敬語で話すことが多く、かつて付き人を担当していたマンモス佐々木にもリング上では敬語で話している。 自宅には通常の体重計よりも上の体重を量ることができる特注の体重計がある。 愛車はフランス車のルノー・アヴァンタイム。彼が日本で最初のオーナーである。 2015年6月、曙の三冠ヘビー級王座防衛を祝い、ジャイアント馬場が生前に愛車としていたキャデラックが馬場元子から寄贈された。 2016年7月1日放送の『輝く!日本ドッキリスター大賞』(テレビ朝日)にて、天龍源一郎から顔面にパイをぶつけられるというドッキリを仕掛けられた。パイを受けた直後、曙は天龍に対してキレかかるが、すぐに謝罪。(パイを投げられたので)とっさにキレたふりをしたと告白した。 2017年4月に心不全により意識不明の重体となり、緊急入院。その際に37分間心停止に陥り、生死の境を彷徨った。2018年9月28日放送のTBS「今夜解禁!ザ・因縁」で1年半振りのテレビ出演を果たしたが、体重が210キロから140キロまで減少していたこと、補助がないと身体を満足に動かすことができない状態であることが紹介された。また、心停止37分による記憶障害により、妻や息子のこと、時間の感覚すらおぼろげになっていた。しかし、現役時代犬猿の仲と言われた花田虎上と再会を果たした際は過去の取り組みや出来事を鮮明に覚えていた。
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