創作説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 04:46 UTC 版)
後世の創作とする説が古くからあり、真偽については現在でも問題となっている。 創作説は江戸末期の狩谷棭斎に始まるものとされる。狩谷は、「憲法を聖徳太子の筆なりとおもへるはたがへり、是は日本紀(『日本書紀』)作者の潤色なるべし、日本紀の内、文章作家の全文を載たるものなければ、十七条も面目ならぬを知るべし、もし憲法を太子の面目とせば、神武天皇の詔をも、当時の作とせんか」と、『文教温故批考』巻一に於いて『日本書紀』作者の創作と推定した。 また、津田左右吉は、1930年(昭和5年)の『日本上代史研究』において、十七条憲法に登場する「国司国造」という言葉や書かれている内容は、推古朝当時の国制と合わず、後世、すなわち『日本書紀』編纂頃に作成されたものであろうとした。 この津田説に対し、坂本太郎は、1979年(昭和54年)の『聖徳太子』において、「国司」は推古朝当時に存在したと見てもよく、律令制以前であっても官制的なものはある程度存在したから、『日本書紀』の記述を肯定できるとした。 さらに森博達は、1999年(平成11年)の『日本書紀の謎を解く』において、「十七条憲法の漢文の日本的特徴(和習)から7世紀とは考えられず、『日本書紀』編纂とともに創作されたもの」とした。森は、『日本書紀』推古紀の文章に見られる誤字・誤記が十七条憲法中に共通して見られる(例えば「少事是輕」は「小事是輕」が正しい表記だが、小の字を少に誤る癖が推古紀に共通してある)と述べ、『日本書紀』編纂時に少なくとも文章の潤色は為されたものと考え、聖徳太子の書いた原本・十七条憲法は存在したかもしれないが、それは立証できないので、原状では後世の作とするよりないと推定する。
※この「創作説」の解説は、「十七条憲法」の解説の一部です。
「創作説」を含む「十七条憲法」の記事については、「十七条憲法」の概要を参照ください。
創作説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/05/19 02:44 UTC 版)
本書の内容は東北での収集内容とされているが、中には東北にあるはずのない話もあることが指摘されている。 一例として「赤舌」「うわん」「おとろし」「小雨坊」といった妖怪が登場しているが、これらは江戸時代の絵巻、もしくは同時代の浮世絵師・鳥山石燕による『画図百鬼夜行』をはじめとする妖怪画集にあるもので、伝承の資料や随筆・怪談集などの古書には確認されておらず、これらが東北に実際に伝承されていたとは考えにくい。本書の怪談すべてが創作とはいえないが、前述のような妖怪の話は創作か、もしくは東北に伝わっていた怪談に対して、似たイメージの妖怪を山田が当てはめたものと考えられている。山田自身も後年に本書について、創作が含まれていることをほのめかしており、また、実際に東北で聞いた話が怪談らしくないため、読者に衝撃を与えるために話を膨らませ、怪談らしく仕立て上げているとも語っている。 小説家である山田が創作を行なうこと自体は問題ではないが、伝承上の怪談と創作との区別が難しく、民間伝承を思わせる怪談の中に、前述のような妖怪画のみの妖怪が登場することは問題視されている。さらに、そうした話が水木しげるの著書で取り上げられ、影響力の強い水木が採用することで、ほかの妖怪関連の書籍にも本書の話が引き合いに出されるといった問題も発生してしまっている。 もっとも前述のように山田はフィールドワークで怪談を収集しているため、現地で実際に前述の妖怪のような話を聞いたという可能性も否定できないのが実情である。
※この「創作説」の解説は、「東北怪談の旅」の解説の一部です。
「創作説」を含む「東北怪談の旅」の記事については、「東北怪談の旅」の概要を参照ください。
- 創作説のページへのリンク