切望する地元と反対派の対立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 02:13 UTC 版)
「ダム建設の是非」の記事における「切望する地元と反対派の対立」の解説
反対運動の今一つの問題点は、反対運動の過熱化に伴い肝心な水没移転住民・流域住民の意識が取り残されて行くことである。反対運動が長期化しダム工事が凍結している間は補償工事・事業も進展することができないため、かえって住民を苦しめることになる。1990年代以降の反対運動は主に地元とは接点が全くない市民団体や活動家が主体であり、地元が容認した事業に反対を唱えてダム事業を遷延化させている。 こうした反対運動に対して断腸の決意で故郷を明け渡し、早期の事業推進を願う水没予定地の住民は「何を今更」と反発している。旧徳山村全村が水没した徳山ダム(揖斐川・岐阜県)では補償交渉に従事した複数の旧徳山村住民代表が「環境問題だけを盾にとってダム反対を訴える部外者は許せない」・「あの手の反対運動ほど早期完成を願う水没住民の感情を逆なでする者はいない」と口を揃え、八ッ場ダムでは利根川下流の市民団体「八ッ場ダム建設をストップさせる会」が2008年に起こしたダム公金支出差し止め訴訟に対して水没住民の間から非難の声が上がっている。川辺川ダムについても2008年9月に開催された五木村民大会でこうした「後出し反対運動」への批判が集中した。 また、水害に苦しむ流域住民の悲願であったダム事業に対して、反対住民と共に、地元と全く関わりがなくかつダム問題の専門家でもないメンバーが反対派に加わり、時には反対派の主導的立場となって、結果的にダム事業が中止に追い込まれるなど、問題を必要以上に複雑化させる弊害が発生している。一方で、補償内容が国税が使われているにも関わらず客観的に見て不適切な場合は反発が出るのは必然である。 代表的な例が淀川で見られる。2005年(平成17年)「淀川水系流域委員会」は淀川水系に計画されている5つのダム事業(大戸川ダム・丹生ダム・余野川ダム・川上ダム・天ヶ瀬ダム再開発)の中止を勧告した。水需要の減少がその中止理由であるが、治水の有効性に関しては具体的に触れられていない。ただし同委員会は行政側が選んだ専門家で構成されており、委員が反対運動に加わっているわけではない。これに対し大戸川ダムや丹生ダム、川上ダム建設で移転した住民が「我らの苦労が報われなくなる」と猛反発、水害に悩まされた流域の一部住民もダム建設促進を要望する等答申と地元意識の乖離が鮮明になった。結果的に余野川ダムは計画中止となったが、大戸川ダム・丹生ダム・川上ダムは治水中心に目的を再検討する事となった。しかしダム反対派の住民らは治水目的のダム建設にも反対する構えを見せており、問題を難しくしている。2008年には橋下徹大阪府知事や嘉田由紀子滋賀県知事など大阪・京都・滋賀・三重の四県知事が大戸川ダム白紙撤回を要求したが、地元大津市はこれに強く反発するなど状況はさらに複雑になっている。ただし天ヶ瀬ダム再開発については京都府は賛成の方向を崩していない。 同様のことは平取ダム(額平川)や川辺川ダム、八ッ場ダムさらには長野県の田中康夫知事(当時)に因る「脱ダム宣言」で中止となった浅川ダムでも見られた。特に浅川ダムについては流域住民のコンセンサスを得ぬまま中止してしまった経緯もあり、長野市や流域住民から批判の声が上がっている。八ッ場ダムでは、民主党が示したダム中止マニフェストに対して、予定地の長野原町・東吾妻町、長野原町観光協会や川原湯温泉組合などの地元のみならず、受益地の石原慎太郎東京都知事をはじめ上田清司埼玉県知事、森田健作千葉県知事、大沢正明群馬県知事が揃って反発している。 一方で、川辺川ダム建設に関連した利水事業をめぐる訴訟において、住民の利水計画同意書や反対意見がダム事業を進めたいとする国側に改竄されていたことが裁判の場で指摘されており、遂にはダム建設に賛成の意思を示していた相良村や推進派の市長が辞任した人吉市が反対に回り、推進派の五木村、八代市、球磨村と対立するなど複雑な様相を呈している。また、推進の立場を取る行政は「地元住民は建設を望んでいる」と主張しているが、新聞社が行った世論調査では建設反対の答えが多いという場合もある。 ダムを建設するにしても取りやめるにしても「地元住民の意見」を集約する難しさを表している。
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