旧徳山村
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 15:50 UTC 版)
嘗て岐阜県揖斐郡揖斐川町にあった徳山地域は古来、縄文或いは弥生時代頃から人が住んでいたという資料があり、江戸時代の徳山郷を経て1889年に徳山村となった。 9つの集落があったが、うち1つは徳山村となる前に既に無人となっており、徳山村となった時点では8つの集落があった。その後、徳山ダムの建設により8つの内の7つが水没する事が決定し、1987年3月31日に全域が廃村となった。 旧村域で唯一、水没とならなかった門入地域は、水没こそしないものの道路が水没により遮断された為、事実上廃村となった。しかし水資源機構により買収されず残った地域があった為、現在地権者の一部が管理の為、門入に通うなどしている。 詳しくは徳山村の項を参照。
※この「旧徳山村」の解説は、「ホハレ峠」の解説の一部です。
「旧徳山村」を含む「ホハレ峠」の記事については、「ホハレ峠」の概要を参照ください。
- 旧徳山村のページへのリンク