旧御殿峠道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/08 09:39 UTC 版)
旧道は、町田市相原町下坂より山中に分け入り御殿峠に至る道で、江戸時代には大山道としても賑わっていたが、1887年(明治20年)ごろより東側(現在の国道16号付近)に大道が整備されてから廃道となっていった。伝承によると、御殿峠には平安時代末期の武将で藍原次郎(大夫高野)の館があったといわれてる。古道の周囲には、弘法のお水と呼ばれる湧水や、片倉城址、1616年 (元和2年7月7日)に相原村と鑓水村の間でおきた山林境界の問題で、越訴の世話人である諏訪加賀が磔の刑となった獄門場跡などの史跡が点在する。
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