共和主義の美徳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 06:12 UTC 版)
「アメリカ合衆国の共和主義」の記事における「共和主義の美徳」の解説
1760年代と1770年代、イギリス領北アメリカ植民地の知識層および政界の指導者達は、歴史を細かく勉強して政府とその統治の有効性を比較した。特にイギリスにおける自由の歴史に関心があり、政権を取っていた王室党(Court Party)に反対した「土着政党」(Country Party)の影響を強く受けた。土着政党は古代ローマの古典的共和主義概念に大きく依存しており、共和国の中での市民の義務とその高潔さという概念を称賛した。古代ギリシャの都市国家やローマ共和制の例を引用した。土着政党はホイッグ党の政治哲学の一部を共有し、またトーリー党がイングランドの王室を中心とするロンドンで王室党を取り巻く腐敗を厳しく批判していたことに同調した。この考え方がアメリカ人の「共和主義」と呼ぶ政治思想を生みだし、1775年までにアメリカで広まった。歴史家のロバート・ケリーは「共和主義は革命世代全体のはっきりとした政治意識だった」と記した。J・G・A・ポーコックはアメリカにおける知識の源を次のように説明した。 ホイッグ党の規範と新ハリントン主義、ジョン・ミルトン、ジェームズ・ハリントンとアルジャーノン・シドニー、ジョン・トレンチャード、トマス・ゴードンとボリングブローク子爵、さらにはモンテスキューまでのギリシャ、ローマ、ルネサンスの伝統の達人、彼等がこの文化の権威ある文学を形成した。その価値と概念は我々が親しんできたものである。すなわち、人格が資産に基礎を置く市民と愛国者的概念、市民の中で完全であるが永遠に腐敗に脅かされるもの、腐敗の主要源として逆説的にある政府と、互恵関係、派閥、常備軍(民兵の概念と対峙)、国教会(ピューリタンや、アメリカ宗教の理神論と対立)のような手段を通じて運営される政府、および現金という利益の奨励といったものである。ただし、その最後の概念の形成は、植民地で普通に発行されている紙幣に対する痛切な願望によって妨げられている。 革命的共和主義は腐敗と強欲さを制限することに集中した。美徳は市民や代議員にとって最高に重要なものだった。革命派は古代ローマから教訓を得て、帝国を破壊した贅沢を避ける必要があることを知った。徳のある市民は、金で償われることを無視し、腐敗に抵抗し、撲滅させることに関わった者だった。共和国は神聖であり、それ故に、自己の利益や個人の意志を無視して、真の代表となる方法で国に仕える必要がある。共和主義は、共通の善のために進んで自己の利益を顧みない者達の奉仕を求めていた。バーナード・ベイリンに拠れば、「自由を保つことは、権力者を効果的にチェックし続ける人々の能力に依存しており、つまるところ人民の警戒心と道徳的活力に依存している」ことになる。徳の高い市民は自由の強力な守護者である必要があり、政府の腐敗と貪欲さに挑戦する必要がある。高徳の市民の任務はアメリカ独立の基礎になった。
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