健田による「綿ふき病見聞記」
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「綿ふき病」の記事における「健田による「綿ふき病見聞記」」の解説
健田は約半年後の同年7月に中央公論社が発行する月刊科学誌『自然Nature』へ、綿ふき病は人為的なもの作為によるものと主張する「綿ふき病見聞記」と題した10ページに及ぶ所説を発表した。 この中で健田は自身が目撃したN農婦の観察経過と、同じく自身が経験した国立福知山病院での出来事を引き合いに出しつつ、いくつかの否定的見解を述べている。例えば綿が動物の体内で作られる可能性について、赤木が仮説として挙げた「綿毛のもとになる若い細胞が、人体内に寄生して盛んに分裂増殖して綿になる」という説に対して次のように反論している。バクテリアなどの微生物や糸状菌などが体内で増殖するのとわけが違い、高等植物の綿が太陽光のない皮下組織の中で、しかも成熟した繊維がわずか数時間で出来上がるというのは考えられない。 さらに、人体内で短時間に作られる繊維成分として血液が凝固する際にできるフィブリンを例に挙げ、その生成過程の複雑さから、人体と程遠い植物繊維である綿を仮に人体内で合成しようとするなら、それ相応の膨大な機構や構造を人体側が備えていなければならない。だがそのような機構や構造は確認されていない。その理屈から考えても人体内で植物繊維が生成される可能性はほとんど考えられないと主張した。 その一方で、綿が外から挿入されていると仮定するなら、説明のできない数々の疑問が一挙に解決するとして、次に挙げる3つの疑念を提示した。 第一に、N農婦の創口から排出した綿の顕微鏡写真に認められる細胞の多くが多核白血球(膿球)ばかりであるという点である。創口は毎日数回にわたり消毒やガーゼ交換を受けており、しかも敗血症予防のため多量の抗生物質が使用されている。それにもかかわらず綿は雑菌に包まれた状態で常に体内から出てくる。この現象は外部から絶えず雑菌で汚れた何かが挿入されているとしか考えられない。 第二に、綿の繊維に特有の年輪様のリングが認められる点についてである。綿の繊維は成長の過程で太陽の光を浴びている間は色が濃く沈着し、夜間は薄くなる性質があり、これがリング状に見えるため、結果的にリングの数が成長の日数を表すことになる。しかし数時間ほどで作られるという創口から排出される綿には20以上のリングが確認できる。 第三に、自身が経験した国立福知山病院での経験に基づく、患者の監視体制上の問題である。この3つ目が健田の疑念の大きなウエイトを占めている。福知山の事例では、夜間の看護師同室時と非同室時との比較による推論から、患者本人による作為的なものと断定されたことは前述した。健田は2例の患者の置かれた環境の違いについて、福知山は国立病院であって患者の隔離が比較的容易であるのに対し、実際に訪れて確認した田尻医院ではその点が極めて不完全であると指摘した。具体的には日中の田尻医院は非常に多忙で、田尻院長は夕刻になると津山の自宅へ帰宅するため、夜間は少数の勤務員のみになることが多い。N農婦の夫は会社員で勤務が終わると一旦自宅へ戻り夕食を済ませてから病室を訪れ、N農婦とともに宿泊、早朝午前4時頃に帰宅し朝食を済ませて会社へ出勤するのが日課になっているという。つまり、夜間は完全なプライベートの時間ということになり、この間の観察は行われていないことになる。少なくとも誰にも気づかれないように綿を挿入する時間的余裕は存在する。 このように健田は作為説を主張したが、それと同時に、綿ふき病を肯定する田尻や赤木の真面目さや熱心さは否定しなかった。それは一度会えばわかることで、一時的ではあったが良心に疑問を感じたのは手紙のやり取りの行き違いによるものであった、と述べている。そして、真面目さと熱心さだけではすべての真実は解明できない、多忙な個人病院では患者の監視体制に不備がある、真実を解明するためには勤務医の充実した大病院に収容するべきだ、と訴えた。
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