個体識別したサルの観察
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 17:02 UTC 版)
1951年に出版した『人間以前の社会』では動物の社会と人間の社会を統一的に論じ、個体の集中を社会とみなす従来の説に異を唱え秩序の内容で社会を分類すべきと主張した:17。この本の中で今西はアルフレッド・エスピナスについて社会の概念を動物に広げた点を挙げて評価する一方、エスピナスが生物の個体を社会と呼んだことについて人間中心主義的な社会観であるとして非難している:17。それゆえ個体がいかなる秩序をもっているかに着目してトルライフ・シェルデラップ=エッベのつつきの順位(英語版)を高く評価し、個体識別に基づく観察を重視し始める:18。 終戦後今西は無給講師として京都大学に戻り、1947年に宮崎で半野生馬の調査を始め個体識別を試みる:18。今西は川村俊蔵、伊谷純一郎と調査を行うが、1948年に野生のニホンザルの群れに遭遇し、サルの群れの方が研究対象として優れていると考える:18。1952年に都井岬近くの幸島と大分県高崎山でサルの餌付けが行われ、個体を識別しての研究が本格的に開始された:18。今西は研究の指針として「(1) 比較社会学の視点で、(2) 個体識別を駆使し、(3) 長期連続観察によって、資料を収集」することを掲げた:19。 動物を個体識別する研究はC.R. カーペンター(英語版)などが既に行っていたものであるが、個体に名前を付けたのは今西らが最初であった:18。これに対して名付けは擬人的方法であり動物の行動解釈を誤るとの批判が生じたが、伊谷は名があるのと同様の認知をもっている霊長類を無名で扱うことこそが誤っていると反論した:19。その後の霊長類学では個体に名前を付けることが常識となっている:18。 幸島、高崎山で行われたニホンザルの調査の成果、および1958-60年にアフリカで実施されたゴリラの調査の成果に基づき、今西は『民族学研究』誌に成果を発表する。この中で今西は人間家族の成立条件を、(1) インセスト・タブー、(2) 外婚制、(3) 分業、(4) 地域社会(コミュニティ)とし、分業を除く三条件は人間以外の霊長類社会において観察されると考えた:20。またゴリラの観察調査からゴリラの集団同士が親和的関係を結んでより上位の社会を構成している可能性を指摘し、ゴリラの集団を「類家族」と呼んだ:21。今西は人間家族について、それが単独では存在しない点に着目して家族同士の密接なつながりを「近隣関係」と呼び、そこに複数の家族を含むより上位の社会構造を予想する:21。一方で弟子の伊谷は1972年に『霊長類の社会構造』を著し、その中でチンパンジーの父系集団が人間社会の原型に近いのではないかという、今西の予想とは異なる考察を行う:26。今西の予想を支持する萌芽的な社会は、結局人間以外の霊長類で発見されることはなかった:21。
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