京都市電初のボギー車とは? わかりやすく解説

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京都市電初のボギー車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/18 12:12 UTC 版)

京都市交通局500形電車」の記事における「京都市電初のボギー車」の解説

大正期京都市は、日本の他の大都市と同様、拡大時代であった明治期実施され琵琶湖疏水建設水力発電開始、その電力活用して京都市街と京都河港である伏見港結んだ日本最初営業用の電車である京都電気鉄道開業市内中心部への路線網拡大明治末年行われた三大事業道路拡幅市電建設上下水道整備)などによって近代都市にふさわしい都市インフラ整備したまた、京都帝大をはじめとした高等教育機関設置は、現在に続く「大学のまち・京都」の原型作るもととなったこうした施策結果京都市明治初年東京奠都ショック克服して京都市その周辺部に人口産業集積見られるようになり、東京横浜名古屋大阪神戸といった都市とともに六大都市称されるようになった。そして、京都市域からあぶれた人口産業は、北部周辺地域中心に住宅立地がさかんとなり、西南部を中心に繊維関係の工場多く立地するようになり、どちらの地域京都市とのつながり日常不可欠なものとなったこのような状況踏まえて京都市1918年周辺の町合併して市域拡大し1921年には市街地スプロール化を防ぐためにこれらの新市街地と従来からの京都市街地を含めた形で都市計画決定実施し現在の京都市街の骨格形作る西大路通九条通などの外郭線や、その外周道路となる北山通十条通などの建設道路拡幅決定された。 一方1912年開業した京都市電は、1918年京都電気鉄道買収して路面電車事業市営一元化実現させ、大正末期から昭和初期にかけて旧京電東回り線の広軌化(寺町木屋町通から河原町通路線付け替え)や1918年合併地域への路線延伸進められるようになった車両開業時投入した広軌1形まかなっていたが、路線延長に伴い車両不足することが予想されたほか、既存路線においては乗客増加していたことから、京都市電においても大阪市電1001・1081形神戸市電C車・E車・I車・J車・K車(後の500形)で実績のある3扉大型ボギー車導入することになり、500形登場することとなった。 本形式500形一足飛び大きな形式与えられたのは、従来単車とは違う画期的なボギー車としての位置づけからであり、その後登場した単車グループ300形200形と、逆戻りする形で形式与えられた。その後600形登場して都市同様登場順に形式与えられるのかと思われたが、戦後登場した大型ボギー車1000形500形同様の理由一足飛び大きな形式与えられその後登場した中型ボギー車800形900形・700形順番登場して形式が行きつ戻りつして与えられるという、他都市では見られない特色のもととなった

※この「京都市電初のボギー車」の解説は、「京都市交通局500形電車」の解説の一部です。
「京都市電初のボギー車」を含む「京都市交通局500形電車」の記事については、「京都市交通局500形電車」の概要を参照ください。

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