乗っ取り騒ぎから帝都高速度交通営団発足まで
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「東京地下鉄道」の記事における「乗っ取り騒ぎから帝都高速度交通営団発足まで」の解説
1925年(大正14年)8月 - 東京高速鉄道(2代目)が、東京市の所持する2 - 5号線の4路線について免許出願(東京市に対して免許譲渡を要求)。対抗して東京地下鉄道も、東京市の所持する4路線について免許出願する騒ぎとなる。東京市は翌9月に免許譲渡を拒否したが、東京高速鉄道はこの後も再三、東京市に対して免許の譲渡を要求した。東京市は財政難のために地下鉄建設に着手できず、東京高速鉄道の要求を拒むことができなくなっていく。1932年10月、東京市は東京高速鉄道に対し、資金調達を条件に、免許譲渡を認めた。 1934年(昭和9年)9月5日 - 東京高速鉄道が、東京横浜電鉄の五島慶太を発起人に加えることにより正式に設立。東京市の所持していた3号線、4号線の一部の免許を取得。五島慶太は武蔵電気鉄道時代に渋谷 - 有楽町間の地下鉄建設を計画し、路線免許も得ていたが、関東大震災の影響で断念していた。五島が東京高速鉄道に参加した目的は、3号線によって渋谷からの地下鉄計画を再現し、都心に進出する事だった。 1935年(昭和10年)5月 - 東京高速鉄道が東京地下鉄道との間で直通運転の協定を締結。 1936年(昭和11年)7月 - 東京地下鉄道が京浜電気鉄道(現、京浜急行電鉄(京急)の横浜以北の路線を建設した会社)・湘南電気鉄道(現、京急の横浜以南の路線を建設した会社)と合弁する契約を締結。 1937年(昭和12年)3月1日 - 上記合弁会社・京浜地下鉄道株式会社を設立。 6月12日 - 新橋 - 品川間未成線免許を同社に譲渡。 東京高速鉄道との直通運転の協定を破棄し、改めて東京地下鉄道、京浜地下鉄道、京浜電気鉄道、湘南電気鉄道の4社による相互直通運転(京浜、湘南線内はパンタグラフによる架線集電、地下鉄線内は集電靴による第三軌条集電とするハイブリッド方式)の計画を推進。京浜電気鉄道が東京地下鉄道の筆頭株主となる。 1939年(昭和14年)1月15日 - 東京高速鉄道が3号線の渋谷 - 新橋間の地下鉄を開業させ、東京地下鉄道の新橋駅と並存して乗換駅となる。 8月1日 - 東京高速鉄道の五島慶太が京浜地下鉄道の親会社である京浜電気鉄道の株を、次いで東京地下鉄道の株を買い占めた(敵対的買収)ことが発端となり、早川、五島両陣営による東京地下鉄道の経営権争奪戦が起こる。 9月16日 - 二社の乗換駅である新橋駅を介して東京高速鉄道と相互直通運転を開始(現在の東京メトロ銀座線を形成。銀座線の項を参照のこと)。 1940年(昭和15年)8月13日 - 両者の紛争は鉄道省による調停によりようやく解決。早川は相談役に退き、東京地下鉄道の経営から事実上撤退。以降、経営権は東京高速鉄道が掌握することとなった。ただし、五島が東京地下鉄道の役員になることは許されなかった。 1941年(昭和16年)9月1日 - 陸上交通事業調整法に基づく戦時統制により、東京地下鉄道の地下鉄路線および免許は、東京高速鉄道、京浜地下鉄道(免許のみ)、東京市(免許のみ)と共に半官半民の帝都高速度交通営団(営団地下鉄)へ統合された。なお、五島は東急を通じて営団地下鉄に出資し、理事にも就任した。戦後、交通営団から民間資本は排除され、日本国政府(日本国有鉄道)と東京都が折半で出資する特殊法人となった。
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