乗っ取り前の政治的状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/26 17:09 UTC 版)
「プリイェドルの虐殺」の記事における「乗っ取り前の政治的状況」の解説
1992年1月7日、ボスニア・ヘルツェゴビナ・セルビア人共和国が建国を宣言する2日前、12月19日にプリイェドル自治体のセルビア人議員らと、地元のセルビア民主党の支部は、「緊急事態による、ボスニア・ヘルツェゴビナのセルビア人機関の組織と活動に関する命令」を採択した。ミロミル・スタキッチ(Milomir Stakić)は、後に、クロアチア人およびボシュニャク人に対する複数の人道に対する罪で旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷(ICTY)に訴追された人物であるが、このスタキッチはプリイェドル自治体の議会議長に選出された。その10日後にあたる1992年1月17日、議会は、独自のセルビア人による領域を作るため、「ボスニア・クライナ自治州」への編入を採択した。 1992年4月23日、セルビア民主党は、特に、すべてのセルビア人部隊はユーゴスラビア人民軍(JNA)との協力の元、自治体を乗っ取ることを決定した。1992年4月の末には、複数の秘密の警察署が自治体各地に設けられ、1500人を超える武装したセルビア人らは自治体乗っ取りに加担した。
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