世界史のなかの1848年とは? わかりやすく解説

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世界史のなかの1848年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 17:31 UTC 版)

近代における世界の一体化」の記事における「世界史のなかの1848年」の解説

詳細は「1848年革命」、「フォーティナイナーズ」、および「カール・マルクス」を参照 1848年は、19世紀前半の諸潮流合流して総決算むかえたような政治季節となったこの年ヨーロッパ各地起こった革命は、33年およんだウィーン体制をついに瓦解させた。その震源となったのはパリ二月革命だった。 フランスでは七月王政のもとで産業革命進み中小ブルジョワジー労働者たちが選挙権もとめていた。その運動弾圧されたことに抗議しパリ民衆1848年2月蜂起し王政倒れて共和政体による臨時政府ができた。第二共和政である。臨時政府には、共和主義者とともにルイ・ブランなどの社会主義者もくわわり、失業者救済をめざす国立作業場つくられ男子普通選挙実現した。 これに続いて三月革命ドイツ語圏に広がったウィーンでは3月諸民族蜂起しオーストリア宰相クレメンス・メッテルニヒ亡命余儀なくされた。ベルリンでも同じ月に民衆蜂起起こって立憲自由主義高まり見せるなか、5月にはフランクフルト・アム・マインフランクフルト国民議会ひらかれた1848年革命は、自由主義国民主義ロマン主義社会主義合わさってチェコハンガリーイタリアポーランドオランダベルギー、さらに南アメリカ大陸へと広がったデンマークでは絶対王政廃止された。 イギリスチャーティスト運動アイルランド反乱スイス分離同盟戦争前年から続いていた。これら「諸国民の春」によってウィーン体制終焉遂げたこのような政治的高揚あたかも分水嶺のようにして、19世紀後半資本主義経済発展のもと、景気回復して1870年頃まで世界的な好景気続きイギリス「世界の工場」としてますます繁栄しドイツはじめとする大陸諸国でも産業革命つづいた折しもカリフォルニアでは1848年ゴールドラッシュ始まり西部殺到した人びとフォーティナイナーズ49ers)と呼ばれたオーストラリアでも1851年金鉱が見つかって世界経済をおおいに刺激した。金の増産によって国際金融市場急速に拡大し資本主義的世界的システム完成がみられた。ロンドンは「世界銀行」と称される世界一大国金融センターとなり、資本輸出時代始まったこうしたなか、新興国アメリカは、列強の群がる清との貿易必要な北太平洋航路中継地として、また、当時需要大きかった鯨油もとめた捕鯨船補給寄港地として日本開港を必要とし、東インド艦隊総司令長官マシュー・ペリー極東派遣した1848年また、カール・マルクスが『共産党宣言』を著した年でもあった。西欧社会において、資本家階級労働者階級対立という図式可視的となり、社会主義者労働者階級新し政治勢力として登場したことに対して資本家たちは保守化し労資対立表面化していった1848年また、ガージャール朝において、バーブ教徒の乱がおき、外国への屈服反対したが鎮圧される

※この「世界史のなかの1848年」の解説は、「近代における世界の一体化」の解説の一部です。
「世界史のなかの1848年」を含む「近代における世界の一体化」の記事については、「近代における世界の一体化」の概要を参照ください。

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