世界史上から見た院政とは? わかりやすく解説

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世界史上から見た院政

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 01:09 UTC 版)

院政」の記事における「世界史上から見た院政」の解説

元々隠居制度は日本にしか存在しないものである。このことから恒久的な制度としては、日本院政は非常に稀な政治体制であった。 他の多く君主国では君主位が終身となっており、死去するまで在位するのが通常である。他の権力者によって位を廃されたり、あるいは自発的に譲位する例はあるが、譲位場合その後政治実権大幅に失うものであり、日本のように君主君主家の最高権力者分離常態化した例はほとんどない日本以外ではベトナム陳朝類例見られるのみである。中国において、趙の武霊王南宋孝宗、清の乾隆帝など、君主位を後継者譲った後も権力握っていた例はあるが、制度として継続したわけではない生前譲位する君主ヨーロッパにも古くから今日まで存在しアラゴン王ラミロ2世神聖ローマ皇帝スペイン王兼ねたカール5世カルロス1世)のように余生修道院送った例、あるいはアラゴン女王ペトロニラなどの女性君主が自らの息子譲位した例などがある。近代オランダルクセンブルクどのように譲位常態化している国もある。そうした場合も、譲位にともない政治的実権手放すのが常である。カスティーリャ女王ベレンゲラのように、フェルナンド3世王位に即けた後、その後見人となった事例もあるが、女性君主即位自体恒常的でないこともあり、制度化するには至っていない。

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