三島事件後――解散とは? わかりやすく解説

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三島事件後――解散

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 00:42 UTC 版)

楯の会」の記事における「三島事件後――解散」の解説

例会にいなかった他の楯の会会員たちも、その後自宅大学など公安警察官私服警察官訪れ事情聴取のために最寄り警察署任意同行された。班長会員らに余計なことをしゃべらないように緘口令敷いていた。警察官たち取調べ口調から、彼らが三島敬意抱いていることが察せられたという。 三島自決遺言により、楯の会解散となった幹部同士解散するかどうか論争があったが、遺言通り三島意志従った三島の遺書は、事件翌日11月26日代々木聖徳諦聴寺営まれ森田通夜回し読みされた。楯の会過員一同宛て遺書は、倉持宛て遺書と共に同封されていた。 小生脳裡にある夢は、楯の会会員一丸となつて、義のために起ち、会の思想実現することであつた。それこそ小生人生最大の夢であつた。日本日本の真姿に返すために、楯の会はその総力結集して事に当るべきであつた。このために、諸君はよく激し訓練文句も言はずに耐へてくれた。今時青年で、諸君のやうに、純粋な目標を据ゑて、肉体的辛苦に耐へ抜いた者が、他にあらうとは思はれない。革命青年たちの空理空論排し、われわれは不言実行を旨として、武の道にはげんできた。時いたらば、楯の会真価全国民目前証明される筈であつた。しかるに、時利あらず、われわれが、われわれの思想のために、全員あげて行動する機会は失はれた。日本はみかけの安定の下に、一日一日魂のとりかへしのつかぬ症状をあらはしてゐるのに、手をこまぬいてなければならなかつた。もつともわれわれの行動必要なときに、状況はわれわれに味方しなかつたのである。 — 三島由紀夫楯の会会員たりし諸君へ」(昭和45年11月12月下旬田中健一西尾俊一今井丈美が釈放された。森田仲間田中西尾ら「十二社グループ」が作っていた政治結社祖国防衛隊」は11月25日をもって解散とすることにし、翌年初頭警視庁解散届を出した1971年昭和46年1月24日築地本願寺営まれ三島葬儀告別式には、楯の会会員とその家族列席した会員らは式場内で楯の会制服着替えて参列した2月28日楯の会解散式が西日暮里神道大教会行われ瑤子夫人75名の会員出席した夫人実家杉山家神道と関係が深く神道大教会と縁があったため、解散式の場所に選ばれた。会の制服各人保持することになった。 式では関河真克(4期生)の横笛奏でられ、倉持清が「声明」を読み、〈蹶起と共に楯の会解散されます〉 という三島遺言内容伝えて解散宣言をした。夫人から出席した会員全員に、三島使っていたネクタイ贈られた。 4年実刑下った小賀正義小川正洋古賀浩靖の3人が1974年昭和49年10月仮出所した。出所した古賀国学院神道学び鶴見神社神主資格取った古賀神主として3人で三島森田慰霊始めた所に元会員が集まるようになり、毎年慰霊祭が行われるようになったその後元会員相互平岡家との連絡機関として「三島森田事務所」(MM事務所)が設けられた。 なお、三島が各班長らに渡して皇居済寧館預けられていた日本刀は、勝又武校と伊藤好雄が引き取り行き瑤子夫人はからいで、各班長倉持清、伊藤好雄、福田敏夫、小賀正義福田俊作、小川正洋勝又武校)に形見として渡された。勝又の刀はその後古賀浩靖譲られた。 1977年昭和52年3月3日伊藤好雄と西尾俊一参加した経団連襲撃事件起こった瑤子夫人説得により投降し終結した1980年昭和55年1月元会員15名ほどで「蛟龍会」が結組された。同年11月24日市ヶ谷私学会館山本舜勝と元楯の会有志らにより「三島由紀夫烈士及び森田必勝烈士慰霊十年祭」が開催された。 1986年昭和61年11月25日渋谷日本神社会館で「三島由紀夫森田必勝16年祭」が元楯の会会員らにより開催された。

※この「三島事件後――解散」の解説は、「楯の会」の解説の一部です。
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