三島事件裁判陳述とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 三島事件裁判陳述の意味・解説 

三島事件裁判陳述

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/17 05:42 UTC 版)

小賀正義」の記事における「三島事件裁判陳述」の解説

「いまの世の中見たとき、薄っぺらなとばかり多い。真実を語ることができるのは、自分生命をかけた行しかない先生三島)からこのような話を聞く以前から、自分でもこう考えていた。憲法占領軍英文起草した原案押しつけたもので、欺瞞偽善にみち、屈辱以外のなにものでもない。(中略日本人の魂を取戻すことができるのではないか考え行動した。しかし、社会的政治的に効果があるとは思わなかった。三島先生も『多くの人は理解できないだろうが、いま犬死がいちばん必要だということ見せつけてやりたい』と話されていた。われわれは軍国主義者ではない。永遠に続くべき日本の天皇地位を守るために、日本人意地見せたのだ」「天皇の地位は、天皇御存在するが故に歴史的に天皇なのであって大統領議員を選ぶように多数決で決まるものではないのです。であるからことなのであってどのようにしてもバラにすることはできないのと同様に天皇選挙やそれに類するもので否定することはできないのです。それなのに(国民の)『総意に基づく』とあるのは現行憲法西洋民主概念誤って天皇当てはめ、天皇国民対立するヨーロッパ暴君のように描き出したアメリカ占領軍日本弱化企みです。それ故現行憲法真に日本人自覚するならば黙って見過ごすわけにはできないはずです。三島先生森田大兄自決は、この失われつつある大義のために行なった至純にして至高至尊自己犠牲の最高の行為であります。『死』は文化であるといった三島先生言葉は、このことを指していたのではないか思います」 — 小賀正義裁判陳述

※この「三島事件裁判陳述」の解説は、「小賀正義」の解説の一部です。
「三島事件裁判陳述」を含む「小賀正義」の記事については、「小賀正義」の概要を参照ください。


三島事件裁判陳述

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/01 04:53 UTC 版)

小川正洋」の記事における「三島事件裁判陳述」の解説

自衛隊治安出動するまでの空白埋めるのが、楯の会目的だった。国がみずからの手日本の文化伝統伝え、国を守るのを憲法保障するのは当然である」「三島先生の『右翼理論でなく心情だ』という言葉はとてもうれしいものでした。自分は他の人から比べれば勉強足りないし、活動経験少ない。しかし、日本を思う気持だけは誰にも負けないつもりだ。三島先生は、如何なるときでも学生先頭立たれ訓練を共にうけました。共に泥にまみれ、汗を流しての上ほふくし、その姿に感激せずにはおられませんでした。これは世間でいう三島道楽でもなんでもないまた、文学者としての三島由紀夫でもない。(中略楯の会例会通じ先生は『左翼と右翼との違いは“天皇と死”しかないのだ』とよく説明されました。『左翼積み重ね方式だが我々は違う。我々はぎりぎり戦いをするしかない後世信じて未来信じるな。未来のための行動は、文化成熟否定するし、伝統高貴否定する自分自らを、歴史精華具現する最後の者とせよ。それが神風特攻隊行動原理“あとに続く者ありと信ず”の思想だ。(中略武士道とは死ぬことと見つけたりとは、朝起きたらその日最後だと思うことだ。だから歴史精華具現するのは自分最後だと思うことが、武士道なのだ』と教えてくださいました。(中略私達が行動したからといって自衛隊蹶起するとは考えませんでしたし、世の中急に変わることもあろうはずがありませんが、それでもやらねばならなかったのです」 — 小川正洋裁判陳述

※この「三島事件裁判陳述」の解説は、「小川正洋」の解説の一部です。
「三島事件裁判陳述」を含む「小川正洋」の記事については、「小川正洋」の概要を参照ください。


三島事件裁判陳述

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/06 13:53 UTC 版)

古賀浩靖」の記事における「三島事件裁判陳述」の解説

戦後日本経済大国になり、物質的に繁栄した反面精神的に退廃しているのではないかと思う。思想混迷の中で、個人的享楽利己的な考え先に立ち民主主義美名日本人精神むしばんでいる。(中略)その傾向をさらに推し進めると、日本の歴史文化伝統破壊する恐れがある。(中略)この状況つくりだしている悪の根源は、憲法であると思う。現憲法マッカーサーサーベルの下でつくられたもので、サンフランシスコ条約形式的に独立したとき、無効宣言をすべきであった」「現実には、日本にとって非常にむずかしい、重要な時期が、曖昧な呑気なかたちで過ぎ去ろうとしており、現状維持生温い状況中に日本中は、どっぷりつかって、これが、将来どのような意味を持っているかを深く、真剣に探ることなく過ぎ去ろうとしていたことに、三島先生森田さんらが憤らざるを得なかったことは確かです」「狂気気違い沙汰といわれたかもしれないが、いま生きている日本人だけに呼びかけ訴えたのではない。三島先生は『自分考え考え抜いていまできることはこれなんだ』と言った最後に合ったとき、『いまこの日本に何かが起こらなければ日本日本として立上がることができないだろう、社会衝撃与え亀裂をつくり、日本人の魂を見せておかなければならない、われわれがつくる亀裂小さいかもしれないが、やがて大きくなるだろう』と言っていた。先生後世託してあの行動をとった」 — 古賀浩靖裁判陳述

※この「三島事件裁判陳述」の解説は、「古賀浩靖」の解説の一部です。
「三島事件裁判陳述」を含む「古賀浩靖」の記事については、「古賀浩靖」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「三島事件裁判陳述」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「三島事件裁判陳述」の関連用語

三島事件裁判陳述のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



三島事件裁判陳述のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの小賀正義 (改訂履歴)、小川正洋 (改訂履歴)、古賀浩靖 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS