ロングおじさんとは? わかりやすく解説

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吉村光夫

(ロングおじさん から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/26 07:24 UTC 版)

よしむら みつお
吉村 光夫
1952年
プロフィール
愛称 ロングおじさん
ロンちゃん
出身地 日本 神奈川県横浜市
兵庫県神戸市生まれ)
生年月日 (1926-02-14) 1926年2月14日
没年月日 (2011-01-03) 2011年1月3日(84歳没)
最終学歴 慶應義塾大学工学部電気工学科卒業
職歴 NHKアナウンサー
KRT→TBSアナウンサー(1951年 - 1981年)
TBSアナウンス部副部長
TBSテレビ本部編成局番組宣伝部部長
TBSテレビ本部編成局番組宣伝部専門職部長
活動期間 1948年 - 1981年
ジャンル 情報番組
配偶者 あり
出演番組・活動
出演経歴 ミルキークイズ
こども音楽コンクール
なぜなぜロンちゃん
まんがはじめて物語
夕やけロンちゃん
その他 鉄道関係の執筆活動あり。
備考
吉村 忠晃」「ロングおじさん」の名義を使用する場合もあり。

吉村 光夫(よしむら みつお、1926年大正15年)2月14日 - 2011年平成23年)1月3日[1][2])は、日本のアナウンサー司会者鉄道ライター。愛称は「ロングおじさん」、「ロンちゃん」。「吉村 忠晃」の名義を使用する場合もあった[3]。2女あり[4]

兵庫県神戸市生まれ[5][6]神奈川県横浜市[1][7]東京都千代田区育ち。

来歴・人物

1937年昭和12年)、第一東京市立中学校(現・千代田区立九段中等教育学校)に入学し、1942年(昭和17年)に卒業[8]。次いで同年藤原工業大学(後の慶應義塾大学工学部、現・理工学部)予科に入学、戦後の1948年(昭和23年)に慶應義塾大学大学工学部電気工学科を卒業し[8]日本放送協会(NHK)入局[6]。鹿児島放送局(現:NHK鹿児島放送局)に勤務した[6]のち[9]1951年(昭和26年)10月に当時開局を控えたラジオ東京(KRT。後のTBS[注 1])へ経験者採用として入社(文献によってはテスト生として入社の記述あり[10]。)[11]。ラジオ時代には『ドレミファゲーム』司会、『ジャズの歴史』DJと、人気番組で活躍[10]1959年(昭和34年)に皇太子成婚の実況放送を担当[8]1962年(昭和37年)4月にラジオ編成局放送実施部へ異動しアナウンス職から離れるが、1965年(昭和40年)2月にアナウンス部へ復帰[9]1969年(昭和44年)3月よりテレビ編成局放送部、1970年(昭和45年)8月よりテレビ本部編成局番組宣伝部で勤務[9]。その間アナウンス部副部長やテレビ本部編成局番組宣伝部部長[6]、テレビ本部編成局番組宣伝部専門職部長[4]を務めた。

当時としては珍しい長身 (178 cm) であることから、「ロングおじさん」または「ロンちゃん」のニックネームで親しまれ[12][13]1970年代は出演番組のタイトル・出演者名義に使用された[13]

1981年(昭和56年)2月にTBSを定年退職[9]。TBSを退職後は、引き続きTBSの番組に出演する一方、鉄道関係の執筆活動も行っていた。

2011年平成23年)1月3日京浜急行電鉄(京急)に乗車し、川崎大師初詣に行った直後に心臓ペースメーカーの電気的トラブルが発生[14]。これにより体調を崩し、急性心不全により死去[2][7][15][16][17][18][13]。84歳没[19]

鉄道ファンとして

鉄道ファンとして知られており[7][13][12]、中学では工芸部に所属、地下工作室の電動工作機を放課後自由に使って[20]鉄道模型作りに熱中する[8]

大学では鉄道研究会に所属していたことがあり、同会卒業生組織の「鉄研三田会」第3代会長を務める[6][14]鉄道友の会にはTBS在職当時から会員(番組宣伝部所属当時、東京支部長も務めた[21])として在籍し理事を務めた(2006年9月辞任)ほか、特定非営利活動法人日本鉄道模型の会」の会長を務めていた(2006年2月退任)。

TBSでは部署は違うものの、後輩の実相寺昭雄や後輩アナウンサーの松宮一彦らとともに鉄道ファンとして社内でも知られており、鉄道と自動車に関する知識の深さに定評があり[4]、TBS在職当時の社内報では「カークラブ代表幹事」「全国に響くSLマニア」とも紹介された[21]。趣味の鉄道分野での取材執筆活動を行い[10][注 2] 、特に京急の愛好者として知られており、京急に関する著作も多数存在する。

TBS在職中の1972年4月には、当時テレビでは系列外(NETテレビ系列)だった毎日放送制作の『八木治郎ショー』での鉄道100年記念特別企画に杵屋栄二とともにゲスト出演したことがあった。この3年後に毎日放送はTBS系列にネットチェンジすることになり、同番組もTBSでネットすることになった[24]

1981年(昭和56年)3月にフリーランスとなり、以降は『鉄道ジャーナル』誌や『鉄道ファン』誌に寄稿していた。特に後者では日本国有鉄道(国鉄)・私鉄JRに当時登場した新型車両の試乗記や、日本国外の鉄道に関するレポートを多数掲載。晩年は『鉄道ファン』誌への寄稿を中心に活動していた。

没後の2011年(平成23年)8月、自身が撮影した京急の写真集『京浜急行昭和の記憶 品川・川崎・横浜・三浦半島を駆け抜けた赤い電車の想い出』が発売された。

遺骨の一部は、京急の他に愛好していたスイスの鉄道沿線のアルプスの山々が見渡せる場所に散骨された[25]

エピソード

  • 吉村の結婚披露宴の際、司会を依頼していた同僚のアナウンサーが急遽欠席となり、吉村自身も司会を兼務していたこともあったという[14]

詳細情報

出演番組

※()内の年度は、特記ない限り『TBS50年史』資料編または『TBSアナウンサーの動き』からのもの。

ラジオ
  • ミルキークイズ(1951年。ラジオ東京最初のクイズ番組)[9]
  • ドレミファゲーム(1952年)司会[9][10]
  • LPコンサート(1954年)[9]
  • ちえのわクラブ(1954年)[9]
  • ジャズの歴史(1955年)DJ[9][10]
  • この人たち(1957年)[9]
  • みんなのマイク(1957年)[9]
  • 歌謡曲ベストテン(1960年)[9]
  • ゴールデンパレード(1961年)[9]
  • こども音楽コンクール(1961年)[9]
  • モーニング・パトロール(1968年頃) - 「吉村忠晃」名義で担当[3]
テレビ

映画

  • たのしい交通博物館(1965年・交通博物館紹介フィルム)

著作

※特記ない限り、著書。

  • 『日本の私鉄 14 京浜急行』保育社〈カラーブックス 565〉、1982年4月5日。ISBN 4586505656NDLJP:12069505 
  • 特急国鉄の本(『ワイド版のりものアルバム』。1986年2月、講談社ISBN 4062026813。「広田尚敬写真」のクレジットあり)
  • ブルートレインの本(『ワイド版のりものアルバム』。1986年2月、講談社。ISBN 4062026821。※「広田尚敬写真」のクレジットあり)
  • 日本の私鉄3(『カラーブックス』776。1989年4月、保育社。ISBN 4586507764
  • 京浜急行今昔物語(1995年5月、多摩川新聞社。ISBN 4924882143
  • 京急おもしろ運転徹底探見(『キャンDVDブックス』。2006年12月、JTBパブリッシングISBN 4533065929。写真・文:佐藤良介。※同梱DVDのナビゲーターを担当)
  • 京浜急行昭和の記憶 品川・川崎・横浜・三浦半島を駆け抜けた赤い電車の想い出(2011年8月、彩流社。文:高井薫平。ISBN 9784779117107。※吉村撮影の写真掲載)

 脚注 

 注釈 

  1. ^ 法人としては、現在のTBSホールディングス。放送局としては、現在のTBSラジオTBSテレビ。TBSの略称は、2009年(平成21年)3月まで東京放送のものであったが、同年4月以降はTBSテレビのものとなっている。
  2. ^ 1960年代[22]から1980年[23]頃にかけて、鉄道雑誌における筆名として「吉村忠晃」を使用。

 出典 

  1. ^ a b c 外部リンク(allcinema)参照。
  2. ^ a b 「夕やけロンちゃん」の吉村光夫さん死去”. Sponichi Annex. スポーツニッポン (2011年1月5日). 2025年1月5日閲覧。
  3. ^ a b TBSラジオ番組表(1968年4月)の『モーニング・パトロール』(月曜 - 土曜の7:45 - 8:00)を参照。…外部リンク:当時の番組表をスキャンしたPDFファイル Archived 2012年2月18日, at the Wayback Machine. - 『ラジオ東京スピリッツ』より。
  4. ^ a b c “吉村光夫_顔”. 朝日新聞東京夕刊: p. 10. (1980年7月18日) 
  5. ^ 『日本の私鉄14 京浜急行』
  6. ^ a b c d e 参考:各通販サイトにおける、『京浜急行昭和の記憶』商品情報ページ内著者情報
  7. ^ a b c 吉村光夫氏死去 元TBSアナウンサー”. 47NEWS. 共同通信社. 2013年3月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年1月5日閲覧。
  8. ^ a b c d 中15 吉村光男氏を偲ぶ会」(PDF)『菊友會報』第90号、菊友会、2013年1月1日、7頁、 オリジナルの2014年9月8日時点におけるアーカイブ、2014年9月8日閲覧 
  9. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、1頁。「吉村 光夫…<NHK鹿児島>…[62.4R編成局放送実施部][65.2 アナウンス部復帰][66.1 R局放送部兼TV編成局アナウンス部][66.4TV編成局アナウンス部][R局放送指揮室][69.3TV編成局放送部][70.8TV本部編成局番組宣伝部][81.2 定年]  R「ミルキークイズ(51)<最初のクイズ番組>」「ドレミファゲーム(52)」「LPコンサート(54)」「ちえのわクラブ(54)」「ジャズの歴史(55)」「この人たち(57)」「みんなのマイク(57)」「歌謡曲ベストテン(60)」「ゴールデンパレード(61)」「こども音楽コンクール(61)」 TV「なぜなぜロンちゃん(77)」「まんが、はじめて物語(78)」「夕やけロンちゃん(78)」」 
  10. ^ a b c d e 日外アソシエーツ 編『現代物故者事典 2009〜2011』日外アソシエーツ、2012年3月26日、670頁。 ISBN 978-4-8169-2357-9 
  11. ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、1-2頁。「51.10 <経験者>8人入社(男6・女2) 上松康郎…<NHK第一期生> 小高芳雄…<大連、奉天中央放送局> 平野貞一…<NHK> 安田一雄…<NHK> 吉村光夫…<NHK鹿児島> 渡辺仁三…<満州放送総局> 植村二三子…<新京放送局> 高橋百合子…<宝塚歌劇団〜女優・歌手〜新京放送局>」 
  12. ^ a b ロングおじさんは本当に「ロング」だったのか?[リンク切れ] - 東スポWEB内『高木マニア堂』2011年3月29日(原典:東スポ携帯サイト2011年1月掲載記事)より。
  13. ^ a b c d 「夕やけロンちゃん」吉村光夫さん死去…84歳急性心不全”. スポーツ報知 (2011年1月5日). 2011年1月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年1月5日閲覧。
  14. ^ a b c 名取紀之 (2012年1月11日). “編集長敬白: 吉村光夫さんを偲んで...。”. 鉄道ホビダス. 2012年11月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年1月5日閲覧。
  15. ^ 訃報:吉村光夫氏=元TBSアナウンサー”. YOMIURI ONLINE. 読売新聞 (2011年1月4日). 2011年1月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年1月5日閲覧。
  16. ^ 元TBSアナウンサーの吉村光夫さん死去”. asahi.com. 朝日新聞 (2011年1月4日). 2011年1月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年1月5日閲覧。
  17. ^ JAM Homepage - 訃報 吉村光夫氏 享年84歳”. jam.gr.jp. 特定非営利活動法人日本鉄道模型の会 (2011年1月4日). 2025年1月5日閲覧。
  18. ^ 元TBSアナウンサーの吉村光夫氏が死去”. サンケイスポーツ (2011年1月4日). 2011年1月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年1月5日閲覧。
  19. ^ 吉村光夫・元TBS〈現TBSテレビ〉アナウンサーが死去 ”. 日本経済新聞 (2011年1月4日). 2025年1月5日閲覧。
  20. ^ 菊友会通信 - 菊友会大会などの会員情報を発信 至大荘懇親会に90人”. 菊友会 (2005年1月1日). 2014年9月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年9月8日閲覧。 “工作部員だった吉村先輩は「地下工作室の電動工作機を放課後自由に使って、電気機関車の模型作りに夢中になった。」”
  21. ^ a b 「TBS紳士録」『TBS社報』NO.432、1976年7月12日、11-12頁。 
  22. ^ 鉄道ファン1965年5月号”. 鉄道ファン・railf.jp. 目次. 交友社. 2025年4月25日閲覧。
  23. ^ 鉄道ファン1980年12月号 特集:55-10改正”. 鉄道ファン・railf.jp. 目次. 交友社. 2025年4月25日閲覧。
  24. ^ 新潟放送静岡放送など一部のTBS系列局では『八木治郎ショー』を腸捻転時代も系列外ネットしていた。
  25. ^ 1月8日(日曜日): レイルマン中井の1日1鉄!” (2012年1月8日). 2014年7月2日閲覧。

参考資料

  • TBS50年史(2002年1月、東京放送編・発行)…国立国会図書館の所蔵情報
    • 資料編
    • 付録DVD-ROM『ハイブリッド検索編』に収録のPDFファイル
      • 『TBSアナウンサーの動き』(ラジオ東京→TBSの歴代アナウンサーの記録を、同社の歴史とともにまとめた文書)
      • 『TBS社報』NO.432(1976年7月12日発行)掲載記事『TBS紳士録』(TBSに勤務する社員を各部署別に紹介した記事)の再録
  • ラジオ東京スピリッツ
TBSラジオ開局60周年記念ウェブサイト。過去のTBSラジオ番組表(一部)をPDFファイル化した上で配信。
  • 『吉村光夫_顔』朝日新聞東京夕刊1980年7月18日号、10面。
  • 日外アソシエーツ 編『現代物故者事典 2009〜2011』日外アソシエーツ、2012年3月26日。 ISBN 978-4-8169-2357-9 
  • 外部リンク

関連項目

外部リンク


ロングおじさん(吉村光夫)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 04:09 UTC 版)

まんがはじめて物語」の記事における「ロングおじさん(吉村光夫)」の解説

その名調子詳細な解説担当番組中ではモグタンお姉さん会話を行うなど、単なるナレーター留まらず1人登場人物として扱われていた。本編ではナレーション専念し本編で姿を見せることはめったになかったが、番組終わり放送されていた「もぐたん質問箱」「ぼくの絵・わたしの絵コーナー」などではひんぱんに画面登場し、主にモグタンお姉さん似顔絵紹介していたコーナーで、鉄道ファン吉村番組送られてきた電車イラスト頻繁に採用していた。

※この「ロングおじさん(吉村光夫)」の解説は、「まんがはじめて物語」の解説の一部です。
「ロングおじさん(吉村光夫)」を含む「まんがはじめて物語」の記事については、「まんがはじめて物語」の概要を参照ください。

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