レムリ家の追放と低予算映画への移行とは? わかりやすく解説

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レムリ家の追放と低予算映画への移行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 07:44 UTC 版)

ユニバーサル・ピクチャーズ」の記事における「レムリ家の追放と低予算映画への移行」の解説

カールJr映画製作近代化や、製作から上映までの垂直統合などを進めた時期はちょうアメリカ大恐慌の底に落ち込んだ時期重なっており、この時期大規模投資きわめてリスク大きなものとなってしまい管財人管理下に置かれてしまう。映画館チェーン解体されたが、カールJrはなおも配給から製作まで支配していた。 レムリ家によるユニバーサル社支配終焉1935年末、1929年大成功した『ショウボート』を、ブロードウェイでの舞台化の際の俳優起用してさらに贅沢にリメイクようとしたときに訪れた株主の間では、以前からカールJr費用のかかる映画製作対す警戒存在し1935年初頭巨額投じた西部劇黄金』(Sutter's Gold)が興行失敗して以来警戒心高まっていた。彼らはレムリ家が製作費の借入行わない限りショウボート』の製作を開始することは許さない反発したユニバーサル経営陣は製作費にあてるため、レムリ家の所有するユニバーサル映画経営権担保にして75ドルをスタンダード・キャピタル(Standard Capital Corporation)から借入れざるをえなかった。これはユニバーサル社26年歴史初めての映画製作のための借金であった。製作費は様々なトラブルから予定より30ドル超過し手元運転資金なくなったユニバーサルにはスタンダード・キャピタルに返す金もない状態であった。スタンダード・キャピタルは抵当権流し1936年4月2日経営権掌握した1936年版の『ショウボート』は大成功し、今日でもミュージカル映画史上最高の作品として高い評価得ている。しかし、こうした好評レムリ家を救うことはできず、彼らは自分たちが創業した会社から追われることになる。 スタンダード・キャピタルの社長・ジョン・チーヴァー・カウディン(John Cheever Cowdin)はユニバーサル社長および取締役会会長となり、映画製作費に対し大なたを振るったウィリアム・ワイラーマーガレット・サラヴァンといった名監督スターらとの関係や契約打ち切られ、彼らはユニバーサルを去る。第二次世界大戦はじまったころには、ユニバーサル西部劇メロドラマ連続活劇などの低予算映画や、ユニバーサル得意の怪奇映画低予算続編など細々製作している状態となった。ユニバーサル・カートゥーン・スタジオ経営陣交代期にユニバーサルの元を離れ、「ウォルター・ランツ・プロダクションズ」として独立しユニバーサルカートゥーン映画提供し続けた。 この時期ユニバーサルドイツ子会社で若いソプラノ歌手起用した軽いタッチミュージカルプロデュースして成功収めてきたジョー・パスターナクがアメリカ亡命し同様の映画ユニバーサル展開した10代歌手ディアナ・ダービンDeanna Durbin)はパスターナクのアメリカで最初映画天使の花園』(Three Smart Girls, 1936年)を大成功導き破産状態ユニバーサル救った1930年代後半ユニバーサル存続させたスター一人挙げるとすればまちがいなくダービンであろう。しかしダービンが大きくなりそれまで10代少女役をこなせないようになり大人女優へ転換図ろうとしたとき、スタジオ13歳のグロリア・ジーン(Gloria Jean)と契約しそれまでパスターナクのミュージカル映画でダービンが演じてきた役をジーン演じさせた。ジーンビング・クロスビーW・CフィールズW. C. Fields)、ドナルド・オコナーDonald O'Connor)らと共演している。 経営危機の時代ユニバーサルには安定したスター俳優少なく、他のスタジオ契約俳優借りたりフリー俳優雇用したりといったことが日常であったジェームズ・スチュワートマレーネ・ディートリヒマーガレット・サラヴァンビング・クロスビーらはこの時期ユニバーサル複数映画仕事をしたスター俳優たちである。スター俳優にはラジオから進出した(W・C・フィールズ、エドガー・バーゲン(Edgar Bergen)、アボットとコステロバッド・アボット Bud Abbott とルー・コステロ Lou Costello2人組コメディ俳優)など)もいた。特にアボットとコステロ軍隊慰問映画凸凹二等兵の巻』(Buck Privates、1941年)は大ヒットとなり、バーレスク芸人出身の「凸凹コンビ」はアメリカ国民的スターとなって、ダービンの軽ミュージカル映画で息をつないでいたユニバーサル経営支えた戦時下ユニバーサルでは、プロデューサーウォルター・ウェンジャーWalter Wanger)と監督フリッツ・ラングコンビによる映画製作されたが、『Cobra Woman』『Frontier Gal』などといったセクシー女優活躍する秘境冒険ものなどが上映スケジュール大半占めていたユニバーサルでは目立たない存在であった1930年代末から1940年代半ばにかけての時期も、ユニバーサル観客と言えば近隣小さな映画館に通うような観客が主であり、スタジオはこうした観客のためにコメディ連続活劇などの低予算映画多数製作していた。アクション活劇の『Dead End Kidsシリーズや『Little Tough Guysシリーズ冒険コメディの『Baby Sandyシリーズ、ヒュー・ハーバート(Hugh Herbert出演コメディ映画シリーズフランケンシュタインの怪物ドラキュラ狼男透明人間ミイラ男などの登場する怪奇映画シリーズベイジル・ラスボーン主演シャーロック・ホームズもの、グロリア・ジーンやドナルド・オコナー、ペギー・ライアン(Peggy Ryan)らティーンエイジ俳優主演青春ミュージカルラジオドラマから生まれたサスペンス映画シリーズ『インナー・サンクタム・ミステリーズ』(Inner Sanctum Mysteries)などが挙げられるこうした低予算映画中心ラインナップであったため、ハリウッドメジャー映画スタジオの中では三色法によるテクニカラー方式使った映画製作最後に導入したスタジオとなったユニバーサル最初テクニカラー映画1942年ジョン・ホールJon Hall)およびマリア・モンテス(Maria Montez)主演スペクタクル映画シリーズアラビアン・ナイトシリーズであった1944年クロード・レインズネルソン・エディ主演リメイクされた『オペラの怪人』でもテクニカラー使用された。

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