レムリ家による縁故主義とミュージカル、ユニバーサル・モンスターズ
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「ユニバーサル・ピクチャーズ」の記事における「レムリ家による縁故主義とミュージカル、ユニバーサル・モンスターズ」の解説
1928年、カール・レムリは、息子であるカール・レムリ・Jrの21歳の誕生日プレゼントとしてユニバーサル映画の社長の地位を与えた。当時すでにユニバーサルには縁故主義の評判が立っており、レムリの親戚のうち70人がユニバーサル映画で仕事を得ていた。そのうちのほとんどは甥であったため、カールはスタジオ関係者の間で「カールおじさん」と呼ばれていた。 新社長カール・Jrは、ユニバーサルを時流に合った会社にするよう父カール・シニアを説得した。カール・Jrは劇場網を買収し新たな劇場を造り、スタジオをトーキー映画製作に転換させるなど高品質の映画作りに向けた攻撃的経営を行った。この努力は、部分的にトーキー化されたミュージカル映画『ショウボート』(1929年)、テクニカラーを導入した贅沢なミュージカル映画『ブロードウェイ』(1930年)、ユニバーサル初の全編カラーのミュージカル映画『キング・オブ・ジャズ』(1930年)などに結実した。また『西部戦線異状なし』は1930年のアカデミー賞で作品賞を受賞した。 カール・Jrはさらに、ニッチな分野であったモンスター映画の分野でロングラン・シリーズを手掛けて大成功を収めた。これが1931年の『魔人ドラキュラ』を始めとする『フランケンシュタイン』(1931年)、『ミイラ再生』(1932年)、『狼男』(1941年)などのユニバーサル・モンスターズと呼ばれるホラー映画で、これ以後ユニバーサルはホラー映画で世界的に名をはせることになった。ドラキュラ、フランケンシュタイン、ミイラ男、透明人間、狼男といったモンスターは現在も幅広い世代に愛され、リメイクやユニバーサル・スタジオのアトラクションなどを通じてユニバーサル映画に利益をもたらしている。 この時期カール・Jrが手がけた映画には、ほかにもドラマの佳作『模倣の人生』(Imitation of Life、1934年)や、スクリューボール・コメディ『襤褸と宝石』(My Man Godfrey、1936年)などがある。 しかし、こうしたトーキー化・カラー化などの高品質路線や攻撃的経営は会社の財政を傾けてゆく。
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