三色法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 09:00 UTC 版)
ハリウッドはカラー映画時代の本格化に向かっていたが、大恐慌の影響で映画業界の不振のため、製作費が高額なカラー作品の制作が減少した。しかしフルカラー映画技術の開発も進み、テクニカラー社は三色法による技術を開発した。特別なカメラを使用し被写体をプリズムで分解し、赤青緑それぞれのフィルターを通した画像を別々に3本のモノクロフィルムへ同時に記録し、その後「ダイ・トランスファー方式」で1本の映写用フィルムを作成すると言う方式であった。1932年のウォルト・ディズニー・プロダクション(現:ウォルト・ディズニー・カンパニー)制作のアニメーション短編映画作品『花と木』がこの方式初の作品となり、第1回アカデミー短編アニメ賞を受賞した。ディズニーは興行的成功を収め、その後1935年まで三色法によるカラー作品制作の独占契約を結んだ。 1935年のRKO制作『虚栄の市』がこの方式を使用した世界初の長編作品となり、1936年のパラマウント映画制作『丘の一本松』は初めて屋外撮影を実施した作品となった。1937年12月に公開されたディズニー制作の世界初のカラー長編アニメーション映画『白雪姫』は興行収入6,100万ドル、2017年現在の物価に換算すると約10億6000万ドルと桁外れの成功を収めた。日本では「総天然色」と訳されて宣伝された。 1935年にアメリカ合衆国のイーストマン・コダックと、ドイツのアグフアが三原色を3層に記録するカラーフィルムを完成させた。テクニカラー三色法で撮影に必要な大きなカメラが使用出来ない時には、カラーフィルムによる撮影が行われた。ほぼ同時期に日本の小西六も同様のシステムを開発した(コニカラー)。以降日本映画業界は国威発揚の目的もあって比較的大きな撮影現場であってもコニカラーの導入を推進し、富士フイルムが開発するリバーサルシネフィルムの登場まで続けられた。
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