プランク【Max Karl Ernst Ludwig Planck】
マックス・プランク
ナチスのユダヤ人科学者の処遇に抗議したドイツの物理学者
マックス・プランク(1858〜1947)はドイツの物理学者。ミュンヘン大学で数学と物理学を学び、1879年に熱力学の学位論文で博士号を得、そこで講師になります。1885年、キール大学の物理学員外教授に、1892年にはベルリン大学の教授に昇進したプランクは1930年、カイザー・ヴェルヘルム研究所の所長に任命されますが、ナチスのユダヤ人科学者に対する処遇に抗議して辞職。1945年、同研究所はマックス・プランク研究所と名を変えてゲッティンゲンに移り、プランクは再び所長に任命されて生涯その地位にとどまりました。
量子論の口火を切り、1918年にノーベル物理学賞を受賞
プランクは、物体から放射される電磁波のエネルギー分布は不連続であることを1900年に発見しました。これは、電磁波がある特定の単位のエネルギーをもった粒子の形で放射されたものとしか解釈できないということです。プランクは、この仮想の粒子を「量子」と命名しました。この理論は、1900年の初期に物理学に革命を引き起こした量子論の基礎になり、プランクはこの偉業によって1918年にノーベル物理学賞を授与されています。
マックス・プランク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/19 03:27 UTC 版)
マックス・カール・エルンスト・ルートヴィヒ・プランク(Max Karl Ernst Ludwig Planck, 1858年4月23日 - 1947年10月4日)は、ドイツの物理学者である。黒体放射を説明するプランクの法則を発見し、そこから で表わされるエネルギーの量子仮説を見出したことにより、量子論の創始者の一人となった。この過程で得られた光の最小単位に関する定数hはプランク定数と名づけられ、物理学における基礎定数の一つとなった。これらの功績により1918年にノーベル物理学賞を受賞した。「量子論の父」とも呼ばれている。科学の方法論に関して、エルンスト・マッハらの実証主義に対し、実在論的立場から激しい論争を繰り広げた。
- 1 マックス・プランクとは
- 2 マックス・プランクの概要
固有名詞の分類
- マックスプランクのページへのリンク